【2日目】〜観光:午前<非武装地帯と第3トンネル>

2日目の朝。7:50分フロント集合ということで、7:30までには起きよう!と思っていました。しかし、なんだかいつまでも暗い朝。韓国は時差ないとのことでしたが、やはり日本よりも西になるのか、朝7:00過ぎでも長野の感覚ではまだ6:00くらい?という感じでした。
さて観光!どこへ行こうか、いろいろ迷いましたが、時間的なことを考えて、午前中は非武装地帯=DMZ(The Demilitarized Zone)、第3トンネルの見学コースを選びました。
もともと板門店へ行きたい!という方もあったのですが、時間がかかることや緊張もあり、ガイドの金さんオススメを選択しました。

さてここからは別の団体と一緒に、バスツァーとなります。やはり流暢な日本語で話される女性ガイドさんに案内していただきます。また写真撮影の禁止の場所があり、ヨン様似のカメラマンも同行しました。

■DMZのパンフレット
都羅展望台
<非武装地帯=DMZ(The Demilitarized Zone)>
1953年7月27日、韓国戦争休戦協定の締結とともに作られた区域。見えない無形の線、軍事境界線から南北にそれぞれ2キロメートルずつに延長している地域のことです。「非武装地帯」というだけあって、軍事行為、敵対行為を一切中止する場所。冷戦時代の韓半島分断のまさにシンボルで、鉄柵線が続くところを南北の軍人たちが「武装」して、警備している所でもあります。

場所はソウルからは漢江沿いに1時間くらい北に進みます。そして入口となる「統一橋」を通ると、パスポートを提示するなど、やや緊張感もあったり…。

第3トンネルとは、北朝鮮が、南への侵攻に備えて軍事境界線を超えて掘ったという、地下トンネルの1つです。こうしたトンネルは今のところ、4つ発見されているとのこと。一般に開放されているのはこの第3トンネルだけのようです。北からの亡命者の証言によって判明したというところです。

入り口の駐車場に着くと、たまたま若い軍人さん(銃を持っていた!)がたくさん整列している場面にも出会いました。ガイドさんからはあらためて撮影禁止の注意もあり、やはり緊張感がありました。


まず資料館で7分間の映画を見て、資料を見ながら大まかな説明を受けます。この映画も日本語でした。そしていよいよトンネルへ入ります。みんなヘルメットをかぶり、トンネル見学のために韓国が掘った坑道のようなところを、ケーブルカーに乗って進み、深さ約80mの地点まで下ります。
■DMZへ入るための許可証


トンネル内は松代大本営を思い浮かべるような雰囲気。それよりも狭く、地下水が滴り落ちています。この水が溜まらないようにトンネルは北よりも南の方が高くなるように設計されています。
また、トンネル内には、南に見つかった場合のため、「石灰を掘っていた」と言い訳をするよう石炭を塗ったというところもありました


<都羅展望台>
続いて「都羅(トラ)展望台」へ行きました。北朝鮮の風景が目の当たり広がる場所です。ここからは「DMZ」はもちろん、北朝鮮第2の都市「開城市(ケソン)」、偽装宣伝村などが見渡せます。北と南の国旗が風になびいているのも見えました。
展望台に行く前に、やはり若い軍人さんに説明を受けます。ここでも日本語で語られます。

展望台からは荒涼とした雰囲気の北の風景が広がり、望遠鏡もありました。
そしてやはり写真撮影が制限され、展望台の前に撮影ラインが黄色で引かれていました(ここから撮すと、望遠鏡しか写らないのですが…)。

しかしこの風景は、日本でもテレビで見ることのある北朝鮮の雰囲気を、ふと思い出し、いやこれが現実の風景か…と不思議な感覚になりました。

都羅山駅

<都羅山(トラサン)駅>

次に向かったのは「都羅山(トラサン)駅」。ここは韓国最北の鉄道駅。将来は北朝鮮を通り抜け、ユーラシア大陸〜ヨーロッパを横断しながらフランスのパリまで続くという、壮大な大陸鉄道の構想があるといいます。

この駅の改札から中へ入るところには、やはり軍人さんが立っていました。そしてホームや線路に降りることが許されました(ただ…撮影は禁止でした。


駅の乗り場は「ソウル方面」と「ピョンヤン方面」の表示がありました。全面開通はいつのことでしょうか!


■平和の鐘 ■自由の橋
<臨津閣(イムジンガク)>
次に向かったのは「臨津閣(イムジンガク)」です。世界各国の戦場の石を集めた「平和の石」、また戦闘の際に使われたヘルメットや武器を溶かして作ったという「平和の鐘」が見えます。

そして「自由の橋」。ここは休戦協定が結ばれて50年後、その一部が一般 人に開かれたところに、柵で遮断された「自由の橋」があります。 休戦協定が結ばれた時に、北から南に向かう捕虜たちが「自由万歳!」と叫びながら帰ってきたことから「自由の橋」と名付けられたといいます。

しかし北では、捕虜になったことが罪になるということから、南から北に帰っていく者たちは南から与えられたすべての服を脱ぎ捨て、北に帰って行ったといいます。今でもシャツがくくりつけられていました。またその鉄柵の上には、韓国の国旗が立てられ、風にたなびいていたのが、とても印象的でした。

この場所こそ、北と南の人の思いの違いがはっきり分かれる場所かもしれないですね。

<昼食>
■プルコギ

ここで見学コースに入っていた場所で、昼食をとりました。ガイドさんによると、店は大したことないけど、味は韓国の家庭の味でオススメとのこと。期待して行きました。
店は確かに、どこぞのラーメン屋?という感じではありました。

しかし!出てきたのは、韓国料理のプルコギ。日本で言うところのすき焼きみたいな感じ。これまたサンチュで巻いて食べるのだそうです。ご飯も出されましたが、これも巻いて味噌をつけて食べるといいのだそうです。
どうも巻きすぎて、いっぺんに口に入らないこともあったりして…。でも美味しかったです。

またご飯は巻かずに、ねこまんまのようにして食する人もありました(笑)!

食後は、再びソウルの市街地へ戻り、次の見学ツァーに!