〜新潟県佐渡市〜

金山で知られる佐渡・相川は、江戸時代初期に金山が発見され、金の採掘が行われていました。その相川で歌い踊られていた盆踊り唄が《相川音頭》です。七七調を延々と歌い綴っていく長編のものを「踊口説」、「口説音頭」等と呼ばれ、関西方面からの移入といわれています。佐渡島内には同様の「踊口説」の音頭として、《国仲音頭》、《駒坂音頭》、《鷲崎音頭》、《真野音頭》等があるといいます。

徳川幕府の天領とされた相川には、奉行所が設けられ、金山奉行が江戸から迎えられていました。その金山奉行の前で、「踊口説」が上覧されたといい、特に奉行の前の広場で踊られたということで《御前音頭》とか《御前踊》等と呼ばれていたといいます。また、奉行の前で顔を出すのをはばかって、編笠を被って踊ったものといいます。

歌詞内容は、各地の「踊口説」にあるように様々なジャンルのものが残されています。
特に多かったのが「心中物」や「恋物語」で、地元で起こった事件を取材した「おさん 仙次郎 心中濃茶染」、「医師の佑庵 さくらのお菊 糸花桜の白酒」、「水金女郎 名寄 黄金花咲く郭の全盛」、「番匠松蔵 機織お竹 春の夜の夢物語」等といったものがあります。
他にも時事を扱ったものとして「佐渡天地 天保地震くどき」、「享和地震 いろはくどき」、「越後地震 瞽女くどき」、「信濃地震 善光寺くどき」、全国的にも知られた「主水(もんど)くどき」、謡曲の盛んであった佐渡ならではの「謡曲百番くずし」、地名を読み込んだ「佐渡道中音頭」、「相川道中記」などさまざまが多かったといいます。

また、奉行所では人々の心を引き締める意味で、現在もっともよく歌われる「源平軍談」のような軍記物が奨励され、作られたといいます。

源 平 軍 談

源平合戦を題材にしたものであり、今日《相川音頭》でもっともよく歌われているものです。作者は文政年間に佐渡奉行所に勤めていた山田良範であるとも、中川赤水であるともいわれています。
五段からなり、初段は「宇治川先陣 佐々木の功名」、二段目は「粟津の合戦 巴がはたらき」、三段目は「那須与一 弓矢の功名」、四段目は「嗣信が身替り 熊谷が菩提心」、五段目が「景清が錏引 義経の弓流し 稀代の名馬 知盛の碇かつぎ」となっています。
もっとも有名な「どっと笑うて立波風の…」は、「義経弓流しに一節は五段目の途中です。

ちなみに、大正13(1924)年に結成された「立浪会」のネーミングは、この「義経弓流し」の部分を採ったものだそうです。