〜北海道全域〜

♪ エンヤーコーラヤ ハドッコイジャンジャンコーラヤ という賑やかな唄ばやしを聴くと、ドリフターズの「8時だヨ!全員集合!」のオープニングを思い出します。しかし、これは全国的にも知られた盆踊り唄《北海盆唄》です。
 もともとは北海道・渡島半島の北。積丹半島の東側にあたる小樽市は高島岬に住み着いて開拓に従事したという越後の集団移住者が歌った、故郷の《越後甚句》であったといいます。七七七五調の甚句で第3句目に「ヤレサ」とか「アレサ」というリフレインが入る「ヤレサ式盆踊り」という型式です。
 
 これが積丹半島を中心に流行し、やがて道内に広まると、炭坑で働く坑夫たちが歌ったといいます。ただ、やや猥雑な歌詞でおもしろおかしく歌われ、《チャンコ節》とか《ベッチョ節》などと言われていたといいます。また、かなり広く北海道中に流行したといい、《北海道越後盆踊唄》などという不思議なネーミングでも呼ばれたといいます。

そして昭和10年代に、北海道・札幌の民謡家・今井篁山がこの唄を覚え、節と歌詞を改良し、昭和27(年には《北海炭坑節》としてレコード吹き込みをしたといいます。そして昭和32年には斉藤京子が《北海盆唄》の名でレコーディングし、本州でもはやりはじめ、翌昭和33年には、三橋美智也が吹き込んで爆発的な流行を見せました。なお、この時の録音で、「おらがおらが北海道の」を「おらが国さの」に、「ヤレサナー」「ヤレサヨー」といったリフレインを「ソレサナー」に改められたといいます。

こうして地元でも逆輸入のような形で北海道でも《北海盆唄》が流行るようになりました。