〜青森県黒石市〜

青森県のほぼ中央に位置する黒石市は、弘前藩2代藩主津軽信牧の二男津軽信英が、分地して黒石城を築き城下町を作りました。八甲田山と岩木山を眺めることができる風光明媚な土地であるといいます。また「日本の道百選」に選ばれた「こみせ(小見世)通り」は、昔のアーケード。藩政時代からそのままの形で今に残っているといいます。
また市内を流れる浅瀬石川の上川原には「津軽じょんがら節発祥の地」の碑があるそうです。
また有名な「黒石ねぷた」は、青森のような人形ねぶたと弘前のような扇ねぷたの両方を備えたという独特なねぷただそうです。

そんな歴史と文化の香りの残る黒石で、大変よく知られた民謡に《黒石よされ節》があります。

「よされ節」と聞くと、津軽五大民謡の《津軽よされ節》を思い浮かべますが、《黒石よされ節》は現在の新節以前の旧節と同系等の7775調の唄です。


「よされ」の意味は、「世去れ節」で、貧困や凶作の世は去れ!とするもの、「余去れ節」で、余は去る!後はよろしく!とするもの、「よしゃれ」つまり「およしなさい!」の意味とするもの…いろいろな説があるようです。
また、津軽為信の時代に、黒石の百姓・与三郎が豊年祝いの席で歌い始めた、黒石の百姓・吾助が歌ったものだ…等、いろいろな言い伝えがあるようです。

また、西日本からの流行唄で、
○よしゃれおかしゃれその手は食わぬ その手食うよな野暮じゃない
といったものが元であったといいます。これが東北に流行って岩手・雫石では「南部よしゃれ」などといって流行った唄のようです。

黒石の盆踊りが盛んになったのは、天明年間、境形右衛門という家老が、付近の農村から城下に人を集めるために力を入れたためであるといいます。また、幕末の頃黒石の盆踊りは、「分銅組若者日記」に、「〜つつみ・太鼓・三味線その数知らず」という記述があるといい、古くから賑わった踊りであったようです。

この《黒石よされ節》は、大変リズミカルで明るい節回しで、賑やかな「エッチャホーエッチャホー」の掛け声が特徴です。伴奏は、普通の津軽民謡のように三味線と太鼓、そして特徴的に鼓が加わります。

黒石では、毎年8月15〜16日に「黒石よされ」まつりが開催され、15、16日には《黒石よされ》《黒石甚句》《黒石じょんがら》《ドダレバチ(津軽甚句)》などによる踊り流しが繰り広げられます。また各地から集まる組踊りによる「手踊り」を見ることもできるそうです。
   黒石よされ節のことは黒石観光協会のホームページで。