〜広島県呉市音戸町〜

広島県でも瀬戸内海に面した呉市と倉橋島の間にある音戸の瀬戸を行き交う船頭たちによって歌われてきたのが《音戸の舟唄》です。

この音戸の瀬戸には伝説があります。
昔、平清盛が切り開いたといいます。平家の隆盛を誇っていた時代、厳島神社建立のため平清盛がここをさしかかりました。そして潮の流れの速いこの瀬戸は、船頭達も恐れをなしてしまうのでしたが、平清盛は海を睨みつけると、潮の流れが逆になり、清盛はゆうゆうと通り抜けたのだそうです。

また平清盛は音戸の瀬戸を1日で切り開いたといいます。その時、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈め難工事を完成しました。1184年その功績をたたえ、供養のために清盛塚を建立したのだそうです。舟唄の歌詞に登場する「清盛塚」の伝説です。

この舟唄は大変いい唄で、朗々ととした節回しは人気があります。
曲としては瀬戸内海の各地や九州あたりにの同様の舟唄が残されています。

この音戸のものが有名なのは、高山訓昌師の活躍です。音戸の瀬戸の傍で生まれ、母や漁師の歌う舟唄を聴いて育ったといいます。現在はこの「高山節」が一般的になっています。

この高山師の唄はもちろん素晴らしいですが、初代浜田喜一師の歌う「音戸の舟唄」も絶品です。「…岩に渦潮 ドンと」の部分がなんとも迫力があります。

また、何年も前になりますが、四国旅行をしたとき、愛媛・松山から広島・宇品港まで船旅をしましたが、その時にこの音戸の瀬戸の近くを通ったのでした。船からではありましたが、清盛塚と松が目に入り、感激でした。