せり込み蝶六 歌詞
○ハァハイヤー ハーイヤーエ ハアァーヨーイヤヨー(ヨーイヨイ)
ハァハイヤーハイヤーは 越中魚津のせり込み踊りじゃ 花の咲く町コレワイドージャイ(ハソーリャヨイ)
○ハイナ ハイヤーエお前さんかよ 何用でござるは 
越中魚津のせり込み踊りじゃ はやいて踊れよコレワイドージャイ(ハソーリャヨイ)
ハイヤそのせいよしコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)
<二十八日口説>
○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
エ何よとサテ訪ねりゃ(ハァードシタイドシタイ)
越中魚津のせり込み音頭(ハァードシタイドシタイ)
ここに同業のお茶呑み話(ハァードシタイドシタイ)
聞けばまことに御縁さとなりて(ハァードシタイドシタイ)
二十八日ゃ御日柄なれば(ハァードシタイドシタイ)
今日はゆるりとお茶呑むまいか(ハァードシタイドシタイ)
あまり渡世のせわしきままに(ハァードシタイドシタイ)
売るの買うので日夜を明かし(ハァードシタイドシタイ)
済むの済まぬと子孫の事に(ハァードシタイドシタイ)
腹も立てたり笑いもしたり(ハァードシタイドシタイ)
罪業ばかりで月日を暮らし(ハァードシタイドシタイ)
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
エ何よとサテ訪ねりゃ(ハァードシタイドシタイ)
この先読んだるその段続く(ハァードシタイドシタイ)
罪業ばかりで月日を暮らし(ハァードシタイドシタイ)
大慈大悲の御恩のほどに(ハァードシタイドシタイ)
懈怠(けだい)ばかりで年月送る(ハァードシタイドシタイ)
今日もむなしく過ぎゆくことは(ハァードシタイドシタイ)
電光稲妻矢を射るごとく(ハァードシタイドシタイ)
今日の御恩があるまいならば(ハァードシタイドシタイ)
今に無常の日暮れとなりて(ハァードシタイドシタイ)
耳も聞こえず眼力ゃ効かず(ハァードシタイドシタイ)
足手まといの妻子や孫や(ハァードシタイドシタイ)
金銀財宝家蔵田畑(ハァードシタイドシタイ)
山も林もうち捨ておいて(ハァードシタイドシタイ)
持つもならねば持たせもならず(ハァードシタイドシタイ)
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
エ何よとサテ訪ねりゃ(ハァードシタイドシタイ)
この先読んだるその段続く(ハァードシタイドシタイ)
持つもならねば持たせもならず(ハァードシタイドシタイ)
死出の山路や三途の大河(ハァードシタイドシタイ)
阿傍羅刹に追い立てられて(ハァードシタイドシタイ)
一人泣く泣く閻魔の庭に(ハァードシタイドシタイ)
業(ごう)の秤や浄玻璃鏡(ハァードシタイドシタイ)
向こうそのとき言い訳たたず(ハァードシタイドシタイ)
右も左も剣の刃(やいば)(ハァードシタイドシタイ)
追いつ追われつ幾千万却(ハァードシタイドシタイ)
焼かれ焦がされ身を切り裂かれ(ハァードシタイドシタイ)
こぼす涙に天を仰ぐ(ハァードシタイドシタイ)
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
エ何よとサテ訪ねりゃ(ハァードシタイドシタイ)
この先読んだるその段続く(ハァードシタイドシタイ)
こぼす涙に天を仰ぐ(ハァードシタイドシタイ)
大地叩いて七転八倒(ハァードシタイドシタイ)
泣けど叫べどその甲斐無いが(ハァードシタイドシタイ)
聞くも恐ろし地獄の苦言(ハァードシタイドシタイ)
逃れがたきは我が身の上に(ハァードシタイドシタイ)
数の仏の御慈悲にもれて(ハァードシタイドシタイ)
とてもかなわぬ悪人なりて(ハァードシタイドシタイ)
見捨てられたる大罪人を(ハァードシタイドシタイ)
阿弥陀如来は助けん為に(ハァードシタイドシタイ)
五刧思惟に思いをくだき(ハァードシタイドシタイ)
阿鼻の炎や紅蓮のおこり(ハァードシタイドシタイ)
毒の中にも幾千万刧(ハァードシタイドシタイ)
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
エ何よとサテ訪ねりゃ(ハァードシタイドシタイ)
この先読んだるその段続く(ハァードシタイドシタイ)
毒の中にも幾千万刧(ハァードシタイドシタイ)
忍びがたきを忍ばせ給え(ハァードシタイドシタイ)
私一人のその身代わりに(ハァードシタイドシタイ)
あなた一人が身に引き受けて(ハァードシタイドシタイ)
一願積んでは衆生が為に(ハァードシタイドシタイ)
一行積んでは女人が為と(ハァードシタイドシタイ)
汗と油の御業行中に(ハァードシタイドシタイ)
施し給うや御眼は(ハァードシタイドシタイ)
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
エ何よとサテ訪ねりゃ(ハァードシタイドシタイ)
この先読んだるその段続く(ハァードシタイドシタイ)
施し給うや御眼は(ハァードシタイドシタイ)
一恒河のいさごのごとく(ハァードシタイドシタイ)
与え給うや御身の耳は(ハァードシタイドシタイ)
毘富羅山のごとくとなりて(ハァードシタイドシタイ)
切らせ給うや御身の肉は(ハァードシタイドシタイ)
千須弥山のごとくとなりて(ハァードシタイドシタイ)
捨てさせ給えや御身の骨(こつ)は(ハァードシタイドシタイ)
大鉄円山ごとくとなりて(ハァードシタイドシタイ)
はがせ給うや御身の皮は(ハァードシタイドシタイ)
三千世界の大地のごとく(ハァードシタイドシタイ)
しばらせ給うや御身の血汐(ハァードシタイドシタイ)
四大海より多しとござる(ハァードシタイドシタイ)
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
エ何よとサテ訪ねりゃ(ハァードシタイドシタイ)
この先読んだるその段続く(ハァードシタイドシタイ)
四大海より多しとござる(ハァードシタイドシタイ)
わけて女人は疑い深く(ハァードシタイドシタイ)
五障三従の障りがあると(ハァードシタイドシタイ)
女人成仏誓いを立てて(ハァードシタイドシタイ)
重ね重ねの御苦労なるぞ(ハァードシタイドシタイ)
釈迦の往来八千八度(ハァードシタイドシタイ)
弥陀の本願聞かせん為に(ハァードシタイドシタイ)
かわるがわるに七高僧と(ハァードシタイドシタイ)
唐や天竺日本までも(ハァードシタイドシタイ)
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
エ何よとサテ訪ねりゃ(ハァードシタイドシタイ)
この先読んだるその段続く(ハァードシタイドシタイ)
唐や天竺日本までも(ハァードシタイドシタイ)
渡り給いし仏の御慈悲(ハァードシタイドシタイ)
知らぬ我が身に知らせん為に(ハァードシタイドシタイ)
高祖聖人藤原氏へ(ハァードシタイドシタイ)
誕生まします松若君の(ハァードシタイドシタイ)
わずか御年九才の春に(ハァードシタイドシタイ)
輿や車を乗り捨て給え(ハァードシタイドシタイ)
栄華栄耀の御身の上が(ハァードシタイドシタイ)
娑婆は暫しと無常や観じ(ハァードシタイドシタイ)
慈鎮和尚の御弟子となりて(ハァードシタイドシタイ)
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)


○ヤーレヤレヤーレヤレ一座の皆様達や
慈鎮和尚の御弟子となりて
比叡の御山へ登らせ給い
二十年来御修業中に
薬師如来へ千日参り
それが足らいで都のあなた
慈悲を司の六角堂へ
寒さ夜な夜な百々夜(ももよ)の間
三里余丁の山坂道を
雨や霰や雪踏み分けて
谷を越えさせ加茂川越えて
女人成仏近道あらば
救え救えと心に祈誓(ハァヨイトコヨイトコ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○ヤーレヤレヤーレヤレ皆さんはばかりながら
救え救えと心に祈誓
さても不思議や御夢想ありて
お告げあらたに名も吉水の
妻や子どもに交わり給え
在家同事の御身とならせ
人に笑われ恥しめられて
義理も人情も我らが為に
教え下さる念仏門が
南都北嶺のそねみに依りて
京も田舎も厳守や停止(ハァヨイトコヨイトコ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○ヤーレヤレヤーレヤレ皆さんはばかりながら
京も田舎も厳守や停止
師弟諸共御身の仇と
土佐や越後に流され給い
輿や車の御身の上が
墨の衣に墨袈裟懸けて
紺地草鞋をがまにてはばき
笈も背中にもったいなくも
杖と笠とて御苦労やありて
風の吹く夜も雪降る中も
石を枕に御難儀かけし
足も血汐に北国関東
二十余年御仏導有りて
弥陀の本願聞かさにゃおかん
大慈大悲の念力故に
こんな愚貧や手強き者が
今は邪見の角をば折りて(ハァヨイトコヨイトコ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○ヤーレヤレヤーレヤレ皆さんはばかりながら
今は邪見の角をば折りて
御恩御慈悲を細々ながら
耳を傾け心を鎮め
聞く気出来たはただ事ならず
口に述べるも恐れがあるぞ
八家九宗と並ぶる中に
わけて我らが御縁が深い
かかる御苦労あるまいならば
こんな邪見慳貧者が
弥陀の本願聞き分けましょうか
京も田舎も日本国中
御仏導あまねく広まり給い
ここに居ながら畳の上で
他力不思議の南無阿弥陀仏(ハァヨイトコヨイトコ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)
ハァ今更流行るか蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

○ハリャーちょいと一座の皆様方よ(ハァードシタイドシタイ) 
※以下同様
他力不思議の南無阿弥陀仏
機法一体元行具足
助け給えも助かる方も
何もかも皆この御六字に
こめて収めてたたんで巻いて
これをやるのじゃ貰えよ早く
貰えさえすりゃ悟りの都
楽の身となる為じゃに貰え
貰え貰えとおすすめなさる
弥陀の本願ドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)

弥陀の本願六字のいわれ
それを貰うに手間暇いらず
知恵もいらねば才覚いらず
富貴貧賤姿にゃよらん
罪も報いも如来にまかせ
かかる者をと御受けが出来りゃ
あとと待たせずその場ですぐに
摂取不拾とて光明の中に
修め給いしドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)

修め給いし大悲の不思議
最早何時命が尽きよも
娑婆の因縁終わるやいなや
花のうてなで神力自在
かかる事ばり聴聞すれば
娑婆は暫く夢見るごとく
善きも悪しきもドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)
宿業次第大将方よ(サイ ナンジャセーイヤセー)
何でも揃わせ蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

○ハリャーちょいと一座の皆様方よ
善きも悪しきも宿業次第
あなた任せと此の世の事に
ままにならぬが御縁となりて
欲しい惜しいのその下からも
思い出しては御恩の程に
命ながらえあるその内に
仏祖知識の御恩を学び
国の掟をドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)

国の掟を必ず守り
親に孝行怠るまいぞ
後生大事も此の世の義理も
知らぬ我が身に教えの知識
かかる御恩を御恩と知れば
善きにつけても悪しきにつけて
思い出しては行住座臥に
唱えまいかやドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)
南無阿弥陀仏大将方よ(サイ ナンジャセーイヤセー)
ハァよい手が揃うたぞ蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

○ハリャーちょいと一座の皆様方よ
揃うた揃うたよ仲良く揃うた
揃うたところで願いさがござる
そのの願いば何よと聞けば
数多先生のおられる中に
私一人のあるよじゃないし
上手で長けりゃ程よいけれど
下手で長けりゃあくびの種じゃ
やめろやめろの声なき内に
チョイトここらでドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)
息継ぎまいたん先生方よ(サイ ナンジャセーイヤセー)
ハァどなたさんじゃ先生に渡いた 蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

※チョンガリ入りの場合
○ハイ目出度イヤハーイハ目出度サアハイヤードウジャイナハハ(ヤッタリヤッタリ)
ヤッタリトッタリ今でも流行るか蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)
○ハーリャちょいと出ました三角野郎が 野郎は三角 櫓は四角 
四角四面の櫓の上で 音頭とるとは生意気なれど 
国の訛りや文句の違い 息の詰まったそのときあらば 
ちょいとお許しドウジャイナハハ(ヤッタリヤッタリ)
ハ文句にかかる先生方よ(サイ ナンジャセーイヤセー)
今よく揃わせ蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

○ハリャーちょいと一座の皆様方よ
ここに同業のお茶呑み話 聞けばまことに御縁さとなりて
二十八日ゃ御日柄なれば 今日はゆるりとお茶呑むまいか
あまり渡世のせわしきままに 売るの買うので日夜を明かし
済むの済まぬとドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)

済むの済まぬと子孫の事に 
腹も立てたり笑いもしたり
罪業ばかりで月日を暮らし
大慈大悲の御恩のほどに
懈怠(けだい)ばかりで年月送る
今日もむなしく過ぎゆくことは
電光稲妻矢を射るごとく
今日の御恩がドウジャイナハハ(ヤッタリヤッタリ)

今日の御恩があるまいならば 
今に無常の日暮れとなりて
耳も聞こえず眼力ゃ効かず
足手まといの妻子や孫や
金銀財宝家蔵田畑
山も林もうち捨ておいて
持つもならねばドウジャイナハハ(ヤッタリヤッタリ)

持つもならねば持たせもならず
死出の山路や三途の大河
阿傍羅刹に追い立てられて
一人泣く泣く閻魔の庭に
業(ごう)の秤や浄玻璃鏡
向こうそのとき言い訳たたず
右も左もドウジャイナハハ(ヤッタリヤッタリ)

右も左も剣の刃(やいば)
追いつ追われつ幾千万却
焼かれ焦がされ身を切り裂かれ
こぼす涙に天を仰ぐ
大地叩いて七転八倒
泣けど叫べどその甲斐無いが
聞くも恐ろしドウジャイナハハ(ヤッタリヤッタリ)

聞くも恐ろし地獄の苦言
逃れがたきは我が身の上に
数の仏の御慈悲にもれて
とてもかなわぬ悪人なりて
見捨てられたる大罪人を
阿弥陀如来は助けん為に
五刧思惟に思いをくだき
阿鼻の炎や紅蓮のおこり
毒の中にもドウジャイナハハ(ヤッタリヤッタリ)
幾千万刧 大将方よ(サイ ナンジャセーイヤセー)
よい手が揃うたぞ蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

○サテキリリトショイ(サテキリリトショイ)
ハイヤ流行ませではコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事(ハァードシタイドシタイ)
毒の中にも幾千万刧
忍びがたきを忍ばせ給え
私一人のその身代わりに
あなた一人が身に引き受けて
一願積んでは衆生が為に
一行積んでは女人が為と
汗と油の御業行中に
施し給うや御眼は
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事
エ何よとサテ訪ねりゃ
施し給うや御眼は
一恒河のいさごのごとく
与え給うや御身の耳は
毘富羅山のごとくとなりて
切らせ給うや御身の肉は
千須弥山のごとくとなりて
捨てさせ給えや御身の骨(こつ)は
大鉄円山ごとくとなりて
はがせ給うや御身の皮は
三千世界の大地のごとく
しばらせ給うや御身の血汐
四大海より多しとござる
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事
エ何よとサテ訪ねりゃ
四大海より多しとござる
わけて女人は疑い深く
五障三従の障りがあると
女人成仏誓いを立てて
重ね重ねの御苦労なるぞ
釈迦の往来八千八度
弥陀の本願聞かせん為に
かわるがわるに七高僧と
唐や天竺日本までも
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○おらがサーハーヨーイヤコレカラコレワイ何事
エ何よとサテ訪ねりゃ
唐や天竺日本までも
渡り給いし仏の御慈悲
知らぬ我が身に知らせん為に
高祖聖人藤原氏へ
誕生まします松若君の
わずか御年九才の春に
輿や車を乗り捨て給え
栄華栄耀の御身の上が
娑婆は暫しと無常や観じ
慈鎮和尚の御弟子となりて
エサテコーレカラ コレサ何事ハイートサーハハヨー(ハァジャントコイジャントコイ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○ヤーレヤレヤーレヤレ一座の皆様達や
慈鎮和尚の御弟子となりて
比叡の御山へ登らせ給い
二十年来御修業中に
薬師如来へ千日参り
それが足らいで都のあなた
慈悲を司の六角堂へ
寒さ夜な夜な百々夜(ももよ)の間
三里余丁の山坂道を
雨や霰や雪踏み分けて
谷を越えさせ加茂川越えて
女人成仏近道あらば
救え救えと心に祈誓(ハァヨイトコヨイトコ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○ヤーレヤレヤーレヤレ皆さんはばかりながら
救え救えと心に祈誓
さても不思議や御夢想ありて
お告げあらたに名も吉水の
妻や子どもに交わり給え
在家同事の御身とならせ
人に笑われ恥しめられて
義理も人情も我らが為に
教え下さる念仏門が
南都北嶺のそねみに依りて
京も田舎も厳守や停止(ハァヨイトコヨイトコ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○ヤーレヤレヤーレヤレ皆さんはばかりながら
京も田舎も厳守や停止
師弟諸共御身の仇と
土佐や越後に流され給い
輿や車の御身の上が
墨の衣に墨袈裟懸けて
紺地草鞋をがまにてはばき
笈も背中にもったいなくも
杖と笠とて御苦労やありて
風の吹く夜も雪降る中も
石を枕に御難儀かけし
足も血汐に北国関東
二十余年御仏導有りて
弥陀の本願聞かさにゃおかん
大慈大悲の念力故に
こんな愚貧や手強き者が
今は邪見の角をば折りて(ハァヨイトコヨイトコ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)

○ヤーレヤレヤーレヤレ皆さんはばかりながら
今は邪見の角をば折りて
御恩御慈悲を細々ながら
耳を傾け心を鎮め
聞く気出来たはただ事ならず
口に述べるも恐れがあるぞ
八家九宗と並ぶる中に
わけて我らが御縁が深い
かかる御苦労あるまいならば
こんな邪見慳貧者が
弥陀の本願聞き分けましょうか
京も田舎も日本国中
御仏導あまねく広まり給い
ここに居ながら畳の上で
他力不思議の南無阿弥陀仏(ハァヨイトコヨイトコ)
ハアリャソノセーカイナコレワイドートコヘンナハー(ハァアリャハイトサーヨイヤコーラセ)
ハァ今更流行るか蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

○ハリャーちょいと一座の皆様方よ
他力不思議の南無阿弥陀仏
機法一体元行具足
助け給えも助かる方も
何もかも皆この御六字に
こめて収めてたたんで巻いて
これをやるのじゃ貰えよ早く
貰えさえすりゃ悟りの都
楽の身となる為じゃに貰え
貰え貰えとおすすめなさる
弥陀の本願ドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)

弥陀の本願六字のいわれ
それを貰うに手間暇いらず
知恵もいらねば才覚いらず
富貴貧賤姿にゃよらん
罪も報いも如来にまかせ
かかる者をと御受けが出来りゃ
あとと待たせずその場ですぐに
摂取不拾とて光明の中に
修め給いしドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)

修め給いし大悲の不思議
最早何時命が尽きよも
娑婆の因縁終わるやいなや
花のうてなで神力自在
かかる事ばり聴聞すれば
娑婆は暫く夢見るごとく
善きも悪しきもドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)
宿業次第大将方よ(サイ ナンジャセーイヤセー)
何でも揃わせ蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

○ハリャーちょいと一座の皆様方よ
善きも悪しきも宿業次第
あなた任せと此の世の事に
ままにならぬが御縁となりて
欲しい惜しいのその下からも
思い出しては御恩の程に
命ながらえあるその内に
仏祖知識の御恩を学び
国の掟をドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)

国の掟を必ず守り
親に孝行怠るまいぞ
後生大事も此の世の義理も
知らぬ我が身に教えの知識
かかる御恩を御恩と知れば
善きにつけても悪しきにつけて
思い出しては行住座臥に
唱えまいかやドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)
南無阿弥陀仏大将方よ(サイ ナンジャセーイヤセー)
ハァよい手が揃うたぞ蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

○ハリャーちょいと一座の皆様方よ
揃うた揃うたよ仲良く揃うた
揃うたところで願いさがござる
そのの願いば何よと聞けば
数多先生のおられる中に
私一人のあるよじゃないし
上手で長けりゃ程よいけれど
下手で長けりゃあくびの種じゃ
やめろやめろの声なき内に
チョイトここらでドウジャイナハ(ヤッタリヤッタリ)
息継ぎまいたん先生方よ(サイ ナンジャセーイヤセー)
ハァどなたさんじゃ先生に渡いた 蝶六かンヨー(ヤーササーサヨイカノカンヨー)

【目出度節】
○目出度目出度の アノ若の松様よ 枝も栄える葉も繁る (ソリャ輪島の習いじゃイヤサカサッサ)