〜山形県山形市〜村山郡一帯〜

まゆはきを 俤(おもかげ)にして 紅粉の花
ご存知・松尾芭蕉の句。これは有名な「奥の細道」の旅で、尾花沢から山寺へ参拝した時に、紅花の畑を眺めて詠んだものだそうです。

紅花は、トゲのあるアザミに似た花で、古くは末摘花(すえつみばな)などとも呼ばれました。初夏の頃、鮮やかな黄色の花が咲きます。原産地のエジプトと言われ、シルクロードを経て、飛鳥時代に日本へもたらされたといいます。特に山形では、江戸時代に持ち込まれ、水はけのよい最上川流域の最上地方(現・村山地方)は、紅花の一大産地となりました。そして、京都からも仲買人が集まるほど、山形は「最上紅花」ので知られ、最上川の船運を利用して紅花商人が活躍し、上方との繋がりが出来たのでした。

この紅花は、化粧品の口紅や紅色の染料、薬などに使用されました。その花を摘むのは重労働だったといいます。と言うのは、紅花の茎にはトゲがあり、葉もノコギリ状でやはりトゲがあったため、花を摘む手を傷つけました。そこで朝早く、夜露に濡れてトゲが柔らかい時間に摘まなければならなかったのだそうです。

そんな紅花摘みの作業で歌われていたのが《紅花摘み唄》でした。ただし、こうした作業においては、決まった節があって歌われていたものではなかったといいます。それを、大正5(1916)年の東北六県の共進会の時に、山形市の小学校長が作ったとか、花柳界で作られたとかいいます。それを山形市の加藤桃菊が歌い、山形を代表する民謡になったのだそうです。

1番の歌詞に出てくる千歳山(471m)は、山形市内からどこからでも見えるすり鉢を返したような形の山。山形の人々に親しまれている山だそうです。

現在、最大の生産地であるのが山形市高瀬地区で、ここでは毎年7月には、「紅花摘唄全国大会コンクール」が開催されています。