小笠原諸島は、太平洋上に位置する離れ島で、東京から南南東へ1000キロメートルも離れています。30ほどの島々の総称で、聟島列島、父島列島、母島列島、火山(硫黄)列島、及び西之島、南鳥島、沖ノ鳥島からなっています。また亜熱帯に属し、海洋性の気候です。「東洋のガラパゴス」とも称され、動植物の研究や生態系、地質学等の研究に注目が集まっていました。
小笠原諸島が発見されたのは、1593(文禄2)年、信州・松本、深志城主の子孫・小笠原貞頼によるといいます。また人が住むようになったのは、1830(文政13)年のことといい、欧米人とハワイの先住民だったそうです。そして開拓も進み、1876(明治9)年に日本領土となりました。
このように、人が生活するようになって約170年の小笠原にも民謡が伝えられています。『小笠原学ことはじめ』第5章「小笠原諸島の民謡の受容と変容−そのことはじめ−」によると、日本(伊豆諸島)から伝わったもの、南方から伝わったもの、小笠原でつくられたものがあるといいます。最初に小笠原に移住した日系人は八丈島出身者であったといい、《ショメ節》などをもたらしました。
中でも南方から伝わったものとして、東京都の無形民俗文化財指定にもなった《南洋踊り》があります。
これは《ウラメ》《夜明け前》《ウワドロ》《ギダイ》《締め踊りの唄(アフタイラン)》の5曲の総称です。これらの唄は、戦前、に父島の聖ジョージ教会の初代牧師の長男・ジョサイア・ゴンザレスという人物がサイパン島やトラック島方面の歌をもたらしたと言われています。5曲とも踊りがつきますが、これらはミクロネシアに伝わる「行進踊り」であるといい、ヤップ島では「マース」とか「テンプラオドリ」と呼ばれるものといいます(前掲書:「歌や芸能の越境とアイデンティティの創造」-「小笠原の民謡」のアレンジをめぐって-)。
また、これらの唄は《夜明け前》と《締め踊りの唄》の一部以外は、カタカナ標記されるもので、意味もよく分からないそうですが南洋諸島の言葉なのだそうです。《夜明け前》については、パラオで同じような唄が歌われていたとか、もともとトラック諸島の踊りであるとか、諸説があるようです。
わたくしが初めて耳にしたのは、伊豆七島の民謡を集めたカセットテープに《小笠原夜明け前》というタイトルで収録されていたのを聴いたことからでした。唄は《大島節》《大島あんこ節》の名人・大島里喜女師の演唱でした。録音では《夜明け前》に続けて《ギダイ》《ウワドロ》をメドレーとしていました。初めて聴いた時は、無伴奏で「夜明け前に〜♪」は分かったものの、あとは何を言っているのか分からず、不思議な唄だという印象でした。そして音階が、いわゆる日本の民謡の音階ではなく、西欧的な意味で言う長音階のスケールに聞こえました(その後、NHKの日本民謡大観にもやはり大島里喜の唄で収録されていることも知りました)。
小笠原といいますと、南国の平和なイメージもありますが、太平洋戦争中、特に硫黄島は、本土防衛の最前線となり、小笠原の住民は強制疎開を余儀なくされるという歴史も忘れられません。敗戦後、小笠原は米軍の占領下に置かれ、大多数の島民の帰島はかなわず、《南洋踊り》も歌われることがなかったそうです。ようやく1968(昭和43)年に日本に返還され、旧島民の帰島がかない、地元では保存会も結成され、歌い踊られているそうです。
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