<新潟県糸魚川市能生> 4月24日 |
主な行事の日程 | |
夕祭 | (23日) 区民会館発 15:30 宵宮祭(神社)16:00 |
社参(三番貝) | 7:30 |
お庭祓い | 8:00頃 |
七度半の使い | 8:00 |
御神嚮打出し | 9:00頃 |
御神嚮打止め(お走り) | 12:00頃? |
供餞進 黙礼式 | ※お走り後 |
舞楽奏演 | 13:00 |
神霊還御(お旅帰り) | 18:00頃? |
行列下向 | 19:30(文化体育館) |
糸魚川市能生は、新潟県も西部に位置する海と山に囲まれた場所です。ここに古くから伝わる、稚児を中心とした舞楽を奏演する「能生祭」が4月に行われています。
このまつりは、能生白山神社の春の大祭です。能生白山神社は崇神天皇11年あるいは太宝2年(702)鎮座と伝えられる古い神社です。舞楽については、大阪四天王寺の舞楽を習得したという口伝があり、また記録には、京都・相国寺の僧、集九万里の「梅花無尽蔵」という旅日記に、この稚児の舞の記述があるといいます。いずれにしても古い伝承を残しています。
まつりの準備〜舞楽の稽古 |
2月中に、春季大祭執行の決定、大王区、大導寺区の能生谷二ヶ字(かつては指塩区を入れて三ヶ字であった)、舞楽を伝承し演じる楽人会等に協力を要請、小泊区の社人に使いを出します。
舞楽の中でも稚児の舞の稽古は、神社社務所で行われます。神聖視される5人の稚児達は、家族とは別火とし、社務所での合宿生活となります。
かつては3月の春休み中から行われていましたが、現在では、期間が縮小されています。
また、4月18日には境内の池に舞台を仮設します。その晩には、小泊区と能生区で隔年で出される獅子舞連中と楽人会との「獅子の手合わせ」が行われます。
夕祭〜深夜の諸行事(4月23日) |
4月23日の夕方には、神社での「夕祭」が行われます。区民会館を午後3:30頃出発し、神社へ向かいます。この時は緋色の衣をまとった稚児を肩車しての社参です。
神社に着くと、拝殿内では御神霊遷座式が行われます。これに先だって、4月22日に行われていた「神輿洗い」を済ませた3基の神輿に、神霊を遷す祭典です。ここでは大祭で神輿を奉護する小泊の人たちに預ける「「神輿渡し」ともいいます。かつては、このときに「試楽詣」といい、舞楽と神楽が舞われたといいます。なお、この夕祭のときに奏される曲は、当地域に伝わる神楽の《太平楽》等を奏します。
また深夜には、祭礼で使う「法螺貝」を貝吹き役に渡す「貝渡し」の式があります。2人の貝吹き役のもつ法螺貝を盃にして、酒を注ぎ、飲み回します。
そして、金剛院で吹かれる「一番貝」(0:00a.m.)の法螺貝の音によって祭りの開始を告げられます。続く「二番貝」(3:00a.m.)も同様に、街に法螺貝の音が響き渡ります。なお、稚児たちは、この「二番貝」で起床、準備にかかります。
本祭(4月24日)〜午前中の諸行事 |
<社参>
24日の朝、区民会館の広間では、衣装を整え、化粧を済ませた稚児を前にして、祭りに携わる人々の無言の拍手、宮司による大祭執行の宣言の後、社参の準備となります。ここでも法螺貝に注がれた酒を飲み、行列が整うと、「三番貝」で行列が出発し、「社参」となります。特に楽は奏されませんが、能生の街の中を法螺貝の音と共に進みます。
<迎え太鼓>
まず、行列を迎えるために、神社境内の御旅所に設えられた太鼓場に、先行して到着した1人の氏子総代が「迎え太鼓」を打ち、社参の行列を待ちます。
<お庭祓い>
肩車されて到着した稚児は橋掛かりで下ろされ、そのまま舞楽の演じられる舞台上へ進みます。ここで神官による「修祓」修祓があります。
<口上> 一、先以今日御目出度く存じ奉り、随而皆々只今参上致し候 二、今日殊の外天気宜しく、御楽に大慶至極に御座候 三、天気益々宜しく御座候間、随分御静々御用意成さる可く候 四、此方も支度致し候間御支度成されて然る可く候 五、追々参詣見物も多く相見へ候間、御支度御用意成さる可く候 六、御支度宜しく候はゞ追付御影嚮の御使い申す可く候 七、最早や風も変はり候間、御影嚮の御出成さる可く候 八、(獅子の前にて黙礼すべし) |
<七度半の使い>
「お庭祓い」と同時進行で、祭りを先導する「御神嚮(ごじんこう)」の行列のお出ましをうながす「七度半の使い」が、お旅所の楽屋から拝殿を往復します。能生谷二ヶ字の人が、裃姿で裾を端折り、白扇をもっています。割竹をもった白丁によって先導され、拝殿へ来ると、白扇を前に置きます。すると小泊六社人のなかの神輿守護社人である「大部」が静かに相対し、口上を受けます。
使い役は、口上を社人の前で述べると、1回1回楽屋へ戻ります。
7回目の口上が終わると、8回目には口上がなく、白丁が割竹を強打すると、使い役は拝殿方向に黙礼します。
すると、拝殿内から「ヤァー」というかけ声とともに獅子連中が駆け出してきます。ここから「御神嚮」となります。
<御神嚮(ごじんこう)>
まず、獅子舞が登場します。担当は隔年で、小泊地区と能生地区の若者が舞います。歯打ちをし、頭を大きく振ると、静かに佇みます。ここが「獅子の礼」といい、かつては僧侶による読経があり、獅子に引導を渡したといいます。
あたりは静寂に包まれます。このときは、ただ黙って立っているのではなく、獅子を舞うときに唱えられる「唱歌」を唱えているといいます。そして、「ヨー ヨッツン イー」の部分から太鼓と笛が入り、やがて「御神嚮」の始まりです。
獅子が出ると、一の神輿が出て、更に社司、御幣、榊をはさみながら、二の神輿、三の神輿、そして大名行列風な持ち物が続き、肩車の稚児が五の戸、四の戸、三の戸、二の戸、一の戸の順番に登場し、ゆったりと境内を進みます。3時間かけて2周すると、いよいよ走り出します。これが「お走り」です。神霊の乗った神輿を御旅所にお移しし、ここで舞楽を演じることになります。
境内の秋葉社裏に位置する三の神輿の後方の「兵部」に、神様がのった瞬間、声を上げると、行列は急に走り出します。神輿は御旅所まで走り、舞楽を演じる稚児は橋掛かりへ、獅子は拝殿へ、その他は竹矢来の中へ走り込みます。
<供餞進>
「お走り」の興奮冷めやらない境内では、拝殿から御旅所まで板を渡して、そこから六社人が6迎えずつ、3回に渡って往復し、お供えを上げる「供餞進」が行われます。これを「御餞上げ」ともいいます。この時、笛、太鼓、法螺貝が入り、楽に合わせて3歩ずつ進んでは止まる、という動きをします。
<黙礼式>
舞台に相対する位置にある秋葉社にいる社司(神職)のところに、小泊六社人の「大部」が、袖に手を包むようにしたお供を引き連れて、大祭準備の出来たことを案内に行きます。これが「黙礼式」です。この時、社司のお供(楽人の1人)が出て、黙礼を受けます。神社前の階段の1段目から段目に片足をかけると、双方が後ろ向きになり、遅い早いで占いをします。社人が早ければ豊漁、社司のお供が早ければ商家繁盛だそうです。
<大祭式典>
御旅所内で、神霊の乗った神輿前で執行されます。修祓、祝詞、玉串奉典が行われます。
演目 | 舞について |
振舞(えんぶ) | 稚児2人の舞。頭には花天冠、鉾を持って舞う。 |
候礼(そうらい) | 稚児4人の舞。頭には花天冠、舞具はなく、剣印(指を2本立てる)で舞う。 |
童羅利(どうらり) | 稚児1人の舞。牟子を被り、能面のような面を着け、手には中啓を持つ。 |
地久(ちきゅう) | 稚児4人の舞。頭には花天冠、中啓を持って舞う。 |
能抜頭(のうばとう) | 大人1人の舞。牟子を被り、髭の生えた面を着け、桴(ばいと発音)を持って舞う。 |
泰平楽(たいへいらく) | 稚児4人の舞。頭には鳥甲(とりかぶと)を被り、舞具は鉾、太刀を持ち替える。 |
納蘇利(なそり) | 大人2人の舞。牟子に龍のような面を着け、手には桴(ばいと発音)を持つ。 |
弓法楽(きゅうほうらく) | 稚児4人の舞。冠を着け、手には弓、矢を背負い、舞の途中で矢を射る。 |
児抜頭(ちごばとう) | 稚児1人の舞。頭には花天冠、中啓を持つ。 |
輪花(りんが) | 稚児4人の舞。頭には花天冠、手には花を持つ。舞いながら退場する。 |
陵王(りょうおう) | 大人1人の舞。全身赤ずくめの装束、頭は牟子ではなくシャグマ。面を着けて手には中啓を持つ。 |
●能生の舞楽に関する資料はこちらから |
本祭(4月24日)〜午後の諸行事 |
<舞楽奏演>
いよいよ舞楽が演じられます。
稚児舞8演目、大舞(大人の舞)3演目からなり、演目ごとに替えられるきらびやかな衣装は、素朴な中にも中央の舞楽衣装を意識した艶やかさがあります。
稚児は「戸」と呼ばれ、一の戸、二の戸、三の戸、四の戸、五の戸の5人。
いわゆる舞楽法会のスタイルを意識したもので、「振舞」(=「振鉾」)から始まります。
楽器は、富山県高岡市の新月乃笛製の篠笛、太鼓は太鼓場に置かれた鋲留めの大太鼓です。いわゆる雅楽器の使用はありません。
舞の最後は《陵王》で、これまた舞台から楽屋へ渡る「橋がかり」で、神様がのったとき楽屋へ飛び込みます。これで「神霊還御」(お旅帰り)となります。御旅所から御輿が一気に拝殿に担ぎ込まれ、神霊を神輿から下ろします。その後、再び拝殿から御旅所へ神輿を戻します。この時、神輿を奉護する人も観客も一体となって「ヤッショーイ!ヤッショーイ!」というかけ声と共に、神輿を宙にあげ、舞楽のあるまつりの終焉を迎えます。
<行列下向>
稚児は橋掛かりから肩車され、行列を組み、再び法螺貝の音に導かれるように、「行列下向」となります。楽人、白丁、獅子連中等とともに、町の体育館へと向かいます。まだまつりの余韻に浸るかのようで、「お走り」を思わせるように、ところどころで走りながら進みます。
体育館に着くと、勢揃いし、そこで「柏手」、宮司の閉祭の宣言にいって、すべてが終わります。そこで着替えて帰宅します。
舞楽のあるまつりは糸魚川が4月10日、能生が4月24日で丁度2週間違います。地元では「糸魚川まつり」が雨なら「能生まつり」は晴れと云われています。これが結構当たったりします…。