<長野県上田市小泉>
高仙寺大日堂御開帳(60年に一度の本開帳・30年に一度の仮開帳) 4月中旬

上田市小泉にある高仙寺は真言宗の寺院で、創建は、大同元年(806)に大日堂を建てられたのがはじまりといわれています。
御開帳は、江戸時代にさかのぼります。初めて行われたのは1682(天和2)年といいます。その後、災害や凶作で遅れたこともあるものの、60年に一度、その後は30年に一度を仮開帳として行ってきました。平成23年で10回目になります。かつては、旧暦3月19日から晴天の7日間に行われたといいます。
その御開帳のときに、この二十五菩薩来迎会が行われてきました。

現在は平原の二十五菩薩来迎会保存会によって行われていますが、本来は、和合・町小泉・横山・日向小泉の4地区から、独身男性25人が選ばれ、1週間の別火生活を経て、身を清め、奏演されたといいます。
仏面や装束といった諸道具は、かつては北佐久郡御代田町の真楽寺から借りて実施したといい、昭和26年からは小諸市平原の十念寺から借りているそうです。その後は
◆大日堂の内部◆
、十念寺の火災によって、平原の長竜寺により出張、今回の平成23年も、平原の二十五菩薩来迎会保存会によって奏演されました。

大日堂御開帳では、大日堂脇の観音堂横から「来迎橋」という仮設の橋が架けられます。本来「弥陀堂」と呼ばれる位置から現れ、橋を通って「娑婆堂」を通るのが本来だそうですが、御開帳のときは、大日堂手前に張り出しの部分を仮設し、そこで演じられます。

まず、中唱世話人が塩をまいて、清めます。続いて、張り出し舞台に太鼓役が着座します。
使用されるのは火炎太鼓です。打ち方は、いわゆる革打ちの他、桴を太鼓の縁に留めた鋲のところをカラカラカラ…と擦るように打つのが特徴的です。
楽器の使用は、和讃の時に打ち鳴らされるは鉦以外はありません。


鳥 面
続いて鳥面が登場します。2名によって演じられます。鶏冠に能面風な面をつけ、背中には翼を負い、ゆったりと跳ねながら進みます。極楽浄土の「迦陵頻伽(かりょうびんが)」ではないかと言われています。

天 人
鳥面が本堂に入ると、続いて2名の天人が登場します。これもまた能面風な面をつけ黒髪を垂らし、白衣をまといます。右手には金扇、銀扇をそれぞれ持ち、左手には蓮の花を持ってゆるやかに出てきます。手を交差するような所作で優雅に舞います。

二十五菩薩のお練り
天人が本堂に入ると、和讃を唱える役が紋付き袴姿で登場し、着座します。
すると、不動明王を先頭に、阿弥陀如来を中心、毘沙門天に挟まれながら、二十五菩薩が1名ずつ入場してきます。橋に勢揃いすると、正面を向きます。
順番は以下の通り。
1)不動明王  2)光明菩薩  3)金剛菩薩  4)宝蔵菩薩  5)徳蔵菩薩  6)虚空蔵菩薩  7)宝自在菩薩  8)普賢菩薩  9)獅子吼菩薩  10)地蔵菩薩  11)衆宝菩薩  12)華厳菩薩  13)薬上菩薩    14)観音菩薩  15)阿弥陀如来  16)薬王菩薩  17)勢至菩薩  18)日照菩薩  19)月光菩薩  20)三昧菩薩  21)大威徳菩薩  22)白象菩薩  23)大自在菩薩  24)定自在菩薩  25)毘沙門天
なお、一般的に二十五菩薩とされるなかからが金剛蔵菩薩、陀羅尼菩薩、山海慧菩薩、無辺身菩薩が省かれ、不動明王、地蔵菩薩、阿弥陀如来、毘沙門天を取り込んでいるのが、平原十念寺の特色です。
 
行者の救済
25名が勢揃いすると、太鼓が止みます。続いて四節の和讃が唱えられ、そのなかで観音菩薩と勢至菩薩が進み出ます。観音菩薩は蓮台もち、勢至菩薩は合掌しています。旋回しながらゆったり
永原秀山監修
無形文化財「二十五菩薩来迎会」
 二十五菩薩来迎会保存会発行
平成3年
と動き、舞台上に置かれた念仏行者の像を勢至菩薩が捧げ持ち、観音菩薩は蓮台に乗せます。これが娑婆堂における、行者の救済の場面です。
そして、ゆったりと阿弥陀如来の両脇に戻り、再びゆったりと本堂へ向かいます。




この二十五菩薩来迎会は、小諸市平原にある時宗の寺院、紫雲山十念寺に伝えられてきたものです。「平原念仏(ひらはらねぶつ)」とか、「練り供養」、単に「お練り」等と呼ばれてきました。
本来は、一遍上人の伝えた「踊躍念仏」と恵心僧都・源信の始めた「二十五菩薩来迎会」の2つが結びついたものとされています。浄土信仰、すなわち阿弥陀信仰の境地を描き出した世界であるといえます。佐久地方では、「跡部の踊り念仏」(佐久市跡部)、「岩下の踊り念仏」(佐久市望月)、「夜明かし念仏」(小諸市荒堀)等、古くから浄土信仰の信者による信仰の形が残されています。

こうした二十五菩薩来迎会は、全国的にもよく知られ、残されています。特によく知られているのは当麻寺(奈良県葛城市)の「練供養会式」が有名です。他にも浄土信仰に基づいたこの華やかな行事が残されています。
平原の二十五菩薩来迎会も古くからよく知られており、小泉大日堂以外にも要請され、この浄土の様子を描いた素晴らしい世界を披露されておられます。

小泉大日堂の御開帳では欠かすことのできないものです。これから30年後、60年後、どのような形で伝承されていくことでしょうか。