石川県羽咋市太田町/日吉神社/ 
  10月体育の日の前日 10:00a.m.〜

石川県も能登の入り口・羽咋市は、能登半島の西部に位置し、宝達丘陵の碁石ケ岳を挟んで富山県氷見市に接しています。市内には50ヶ所以上の獅子舞の伝承があるそうですが、そのなかの1つ・太田町の秋の祭りに獅子舞が、青年団によって奉納されます。

◆太鼓◆ ◆しょうご◆


太田の獅子は、氷見系である越中獅子の流れといわれています。昭和26年に、志雄町所司原の獅子を習ったものといいます。それまで太田は能登獅子であったようですが、所司原は越中獅子であり、太田は越中獅子系として今日まで伝承されてきました。ただし能登獅子の風な部分も残されているようです。
また、その後太田からは敷浪へ伝承したといい、かつてこの地域での獅子の交流が深かったことが分かります。


獅子舞の形態は、一頭で獅子頭を持つ役とカヤに4人ほど入る百足獅子です。頭は大振りで、赤が親獅子、黒が獅子という親子の獅子です。また重要な役として天狗が登場します。道化はありません。

楽器は、篠笛がなく、太鼓としょうごと呼ばれる鐘(鉦)です。
太鼓は、やや小振りの枠ありの鋲留め太鼓を縦にして打ちます。獅子舞のときは置いて打ち、町内を移動するときは2人で担ぎ、吊しながら打ちます。
鉦はやや大きめで手に持たずに木枠に吊して撞木で打ち鳴らします。

演目は、やすぶし、ひとあし、ふたあし、きょうぼり、ばいがえし、やどあがり、しぼり、よそぼり、ぎおんぼり、ふさ、しちごさん、獅子殺し です。演じられる場とか機会によって、これらの演目が組み合わされ、舞われます。家々では「やすぶし」で始まり、「ばいがえし」で終わります。

午前中に神社を出た獅子方は、太田町内の家々を廻ります。途中、宿にあたる家では、休憩をしていきます。なお、太田獅子の伝承元の所司原青年団と伝承先の敷浪青年団の獅子とは交流があり、こうした宿では各青年団の獅子舞が披露されます。太田青年団も、それぞれの祭りには出向いていくそうです。

太田の祭りで忘れられないのが「花火」。太田青年団の半数が花火師免許を持ち、祭りには青年団で花火を上げます。

班かわり・宿入り・宿出立といった合図の花火は自分たちで、神社の「宮上がり」での打ち上げ花火、境内のナイヤガラ等の仕掛け花火は提携業者とともに設置し、手伝い、まつりに花を添えます。

なお太田青年団は、地元の祭りだけでなく、石川県内外の各地の祭りでも花火を上げるのだそうです。

こうして午後10:00頃には「宮上がり」で、神社に到着すると、いよいよ神社のみで舞われる「獅子殺し」になります。境内では火の着けられたロウソクが何本も立てられ、その中で舞われます。

薄明るいロウソクの灯りのなかでの獅子舞は大変幻想的です。更に青年団は手持ちの花火で明るくしますが、これもまた神秘的な感じです。

2006年10月8日、羽咋市太田町内、日吉神社