〜長野県安曇地方〜
◆安曇節歌碑◆
〜セピア安曇野(JR大糸線信濃松川駅前)〜

長野県も西部、北安曇郡から南安曇郡一帯の安曇(あずみ)平で広く歌われているのが《安曇節》です。

これは北安曇郡松川村の医師・榛葉太生(しんは ふとお)(1883〜1962)による新しい民謡です。とは言え、全くの創作ではないです。
榛葉師は出原処士(しゅつげんしょし)と号し、安曇平に残る《安曇代唄》《安曇田の草取り唄》といった「仕事唄」や、《三つのたたき》《サンコロリンサ》《チョコサイ節》などといった「盆踊り唄」などが次第に歌われなくなっていくことを嘆き、こうした唄を採集して新しくまとめ上げ、大正12(1923)年の夏にまとめあげたのがこの《安曇節》です。榛葉師は、全体構成を高野辰之、原曲批判を中山晋平、三味線手付けを杵屋佐吉、振付を藤陰静枝、指導を大川五郎等といった人々の協力を得て、まとめ上げたといいます。

《安曇節》の特徴は、歌詞は基本的に七七七五調の歌謡形式ですが、第3句目の七文字を2回繰り返すこと、最後の五文字を都合3回繰り返し、最後に「チョコサイ コラコイ」がつくことです。

この唄をまとめるのに、特にその母体となったのは松本〜安曇平でよく歌われていた「チョコサイ節」であったようです。例えば南安曇郡三郷村の《七日市場盆踊り唄》は、
○音頭とりましょ仰せとあらば 声は悪くも 声は悪くも 歌いましょ チョコサイ コラコイ
というものです。

他にもこのような唄は歌われていました。
松本市入山辺地区の《山辺唄》の《つっこめ節》、北安曇郡小谷村の《小谷チョコサイ》など、同系統の民謡は残されています。
また少し南の木曽地方では、木曽郡楢川村奈良井の《お十五夜様》といった「盆踊り唄」が残ります。木曽では最後の「チョコサイコラコイ」はないものの、第3句の繰り返しは残されており、よく似ています。同様の曲は、木曽郡王滝村の《王滝盆踊り唄》、同郡大桑村の《須原ばねそ》の《竹の切り株》があります。

こうした広い範囲で歌われていた第3句を繰り返すタイプの盆踊り唄に、《三つのたたき》に見られる最後の五文字の繰り返しを用いて、今日の《安曇節》を作り上げました。

また、歌詞については、最初は、
○達者(まめ)で会いましょ また来る年の 踊る輪の中 踊る輪の中 月の夜に 月の夜に 月の夜に チョコサイ コラコイ
といった、各地の伝統的な歌詞を用いていました。
更に「安曇節歌会」を開催して、安曇地方の風土を読み込んだ新作の歌詞が次々と生み出されてきました。

ですから《安曇節》を丁寧に紹介しているものには、作詞・安曇節保存会、作曲・出原処士と記されています。

なお、現在歌われている《安曇節》も、歌われる土地土地でメロディの変化が生じてきています。豊科、穂高あたりで歌われているものが現在ではよく聞かれます。「チョコサイ コラコイ」の「コラコイ」を下げて歌う、テンポがいくらか速い、といった特徴があります。

一方、榛葉師がまとめた松川の節は、冒頭に「サー」が入る、「コラコイ」を上げて歌う、テンポがやや遅い、といった特徴があります。こちらの方を《正調安曇節》として伝承されています。リズム感も異なり、普及しているものより正調の節は、盆踊り唄「チョコサイ」のリズム感を間違いなく取り入れられています。

最後に、わたくしの大胆仮説!
この3句の繰り返しのある長野県内の民謡を思い出すと…ありました!有名な《伊那節》。
○ハァー木曽へ木曽へと つけ出す米は 伊那や高遠の 伊那や高遠の お蔵米 ハソリャコイアバヨ
この「伊那や高遠の」の部分を2回繰り返します。よく聴くとこの下の句の歌い方、《安曇節》と似てませんか?

ちなみに伊那にはもう1曲、《伊那の盆唄》という盆踊り唄がありますが、これは、
○ハァー盆にゃおいでよ 祭りにゃ来でも 死んだ仏も 死んだ仏も 盆にゃ来る ソレコイ
です。やはり第3句を繰り返すのと、唄ばやしが「ソレコイ」です。聴けば分かりますが、やはり《安曇節》と似ています。

伊那と木曽と安曇との関わり、もっと大胆に言いますと、《伊那節》と《安曇節》とは、もしかしたら兄弟かも知れませんね!