〜長崎県長崎市〜
■花月■
遊びに行くなら花月か中の茶屋〜♪

港町・長崎市の丸山(丸山町と寄合町)は、江戸の吉原、京都の島原と並び三大名所と呼ばれた遊郭の町でした。
こうした遊里をぶらぶらと歩きながら歌う唄を《ぞめき唄》《そそり唄》と言ったといいます。これだけの遊郭を持った、港町・長崎ですから、各地の流行唄が《ぞめき唄》として取り込まれたようです。

この<ぶらぶら節>の源流は、<やだちゅう節>だといわれ、
 ○海老が海鼠を口説いたちゃ 色になれとは おら嫌だちゃ やだちゅやだちゅと 言わねえもんだちゅ
という歌詞が元唄であったといいます。

■愛八の墓■


しかし、各地に<潮来節>という曲名で、似たような民謡が残っているといいます。潮来といえば、茨城県行方郡潮来町で、様々な流行唄を生み出しているので、あるいは<潮来節>の一種が取り込まれたものかも知れないといいます。

なお、この曲が確立されたのが大正末のことで、丸山の芸妓・長崎東検番、愛八でした。

愛八・本名松屋サダは明治7年生まれ、明治24年にはお座敷に上がっていました。いろいろな唄をこなす中で、郷土史家・古賀十二郎とともに発掘し、昭和6年にはレコード吹き込みが行われました、ちなみに、愛八のレコード吹き込みのプロデューサーは、詩人・西條八十であったといいます。

そして忘れられないのが、なかにし礼の直木賞受賞作品「長崎ぶらぶら節」。愛八の弾き語りによる演奏を聴き、やがて長崎通いが始まり、名作小説が誕生したのでありました。

現在、この曲は面白い語感と粋な節回しで、西日本のお座敷民謡の代表になっており、様々な歌手によって歌われています。なかにし礼の小説以来、愛八の歌うCDが復刻されると、愛八風の三味線で歌う歌手も現れています。

■このページの画像は、がろっとさんの長崎ぶらぶら節のページから拝借しました。