〜埼玉県秩父郡皆野町周辺〜
 
秩父音頭祭の扇子

埼玉県西部の秩父一円で歌われてきた盆踊り唄がこの「秩父音頭」です。

この唄はいわゆる七七七五調の甚句形式ですが、下の句の第4句目の前に「アレサ」が挿入されるところから、「アレサ型盆踊り唄」とか「ヤレサ式盆踊り唄」と呼ばれます。同系統のものには「相馬盆唄」「いわき盆唄」(福島県)、「三浜盆唄」(茨城県)、「日光和楽踊り」「宮の盆唄」(栃木県)、「北海盆唄」(北海道)などがあります。源流は新潟の「越後甚句」と言われています。

秩父では8月始めの稲の花の咲く頃に、田の神様にもう一度豊年を祈る「豊年踊り」という風習があって、それにこの唄を使ったといいますが、やがて盆踊りに利用するようになったそうです。


昭和初期、こうした盆踊り唄が廃れていくので、保存しようと立ち上がったのが皆野町の金子病院の院長・金子元春(号:伊昔紅)で、それまでの猥雑な歌詞でなく一般募集したり、自ら作詞、更に節にも手を加え、今日の形にしたといいます。更に、金子病院の作男・吉岡儀作らに覚えさせてレコーディングしたといいます。

こうした地元の歌い方の「秩父音頭」は、「秩父屋台囃子」の手を取り入れたもので、笛、大太鼓、小太鼓、鉦の伴奏で歌われます。一方で、ステージ民謡の世界では、その笛のメロディをなぞったような三味線伴奏で、「日光和楽踊り」風な歌い方で演奏されます。

また、忘れられないのは、地元・埼玉出身の民謡歌手・小沢千月師。この「千月節」ともいえる「秩父音頭」は、ステージ風の伴奏ではありますが、地元独特の唄ばやしをふんだんに取り入れ、大変馴染みやすく歌い上げておられます。「秩父音頭」を愛し、広めたという点で功績が大きいと思います。