〜新潟県三島郡出雲崎町〜

新潟県のほぼ中央、日本海に面した出雲崎は、良寛出生の地としても知られます。また中山道追分宿から分かれた北国街道の終着でもあった場所です。この出雲崎の花柳界で歌われてきた「おけさ」が《出雲崎おけさ》です。
おけさ発祥の碑

「おけさ」とは、新潟を中心に大変広く分布している唄ですが、源流は九州・牛深の「ハイヤ節」といわれています。これが北前船等で船乗り達によって伝えられ、越後では「おけさ」という唄の歌詞に、「ハイヤ節」のメロディに乗せて歌われるようになったものといわれています。

良寛堂

記録には、寛政10(1799)年、幕府役人・新楽間叟が出雲崎に滞在したとき『間叟雑録』に、「此国の踊りを好むや甚し、就中盆の踊り、国中これが為にいそがしく、海震山搖かと疑れる、昼は休みて世は曉天に至る、美なる事は出雲崎にしくものなし…おけさは出雲崎のもの也、いずれの地にておけさを歌えども、出雲崎のものと違う也」とあるといいます。

この《出雲崎おけさ》は、「オヤオヤオヤ…」で始まる囃子唄が面白く、特徴的です。またいろいろな歌い方があったようで、字余りもあります。また、花柳界での座敷唄的な「おけさ」と漁師町での盆踊り唄的な「おけさ」があったようです。座敷唄としては、テンポもゆったりとして、しっとりとした感じ。盆踊り、最近では地元のまつりなどではテンポも速く、伴奏の三味線の手はかなり自由奔放に弾かれていたようで、かなり「ハイヤ節」の雰囲気を醸し出しています。

全国的によく知られた新潟の「おけさ」としては、《佐渡おけさ》《新潟おけさ》《柏崎おけさ》《小木おけさ》《寺泊おけさ》等がありますが、この《出雲崎おけさ》は広く歌われる「おけさ」の1つです。ステージ民謡として、よく歌われるようになり、三味線伴奏や歌詞などが統一される傾向があります。地元でも「普及版」としてテープなどを出されていますが、もっと地元ならではの歌い方が広く紹介されるといいなと思います。