〜群馬県吾妻郡草津町〜

◆湯 畑◆

群馬県の北西部、長野県境に近い草津は、天下の名湯・草津温泉で知られています。強酸性の硫黄泉で、ドイツ人のエルヴィン・ベルツ博士が、この湯に薬効があることを知らしめました。草津温泉は湯温が高く、そのままで入ることができず、水で薄めるのもその薬効をなくすことになるということから、明治期に「時間湯」という入浴法が考え出されました。入浴者が、2mもある板で、湯長の指示で湯をもみ、温度を下げてから入ります。その湯をもみながら歌われてきたのが《草津節》です。

◆湯 板◆


当初の湯もみでは、各地の客の歌う唄が歌われていたのだそうですが、大正時代になって現在の《草津節》が歌われるようになったそうです。この唄は、茨城県の《げんたか節》という説、《機織り唄》という説等があるようです。歌詞は七七七五調で、甚句系統の曲で、湯もみのテンポで歌われるようになりました。曲は明るく、「ドッコイショ」「チョイナチョイナ」といった唄ばやしが印象的です。歌詞は、1918年に草津に湯治に来た詩人・平井晩村が作ったものだそうです。

また、その後大正末期には、「ヨホホイ」という句が入る曲も歌われるようになります。こちらは《ダンチョネ節》が元唄といわれていますが、定かではありません。こちらも歌詞は七七七五調ですが、前者とは趣が異なり、都節音階でしっとりとした曲調になっています。

ともに湯もみの曲ですが、やがて座敷の酒席でも歌われるようになります。草津芸者・竹寿が伴奏を付けて歌われると草津名物となり、昭和初期には全国的に流行りました。特に、♪〜お医者様でも 草津の湯でも 惚れた病は 治りゃせぬ が広く知られ、人気民謡となりました。

曲名については、一般的にはチョイナチョイナの方を《草津節》と呼び、ヨホホイの方を《草津湯もみ唄》と呼んでいます。地元では逆に、チョイナチョイナを《湯もみ唄》、ヨホホイを《草津節》と呼んでいたようです。そこで《チョイナ節》《ヨホホイ節》という区別をすることもあります。

《草津節》《草津湯もみ唄》は、ともによく知られた民謡ですが、やはり地元の節回しや三味線伴奏は、ゆったりとした感じで、温泉街の座敷唄といった情緒にあふれたものになっています。