〜山形県最上郡真室川町〜

山形県も北部・最上郡真室川町で酒席の歌として知られてきたのが《真室川音頭》です。
この源流は明治時代の流行歌《ラッパ節》という歌で、日露戦争の頃から歌われたもので、各地に流行して、替え歌も作られました。そして特に人気があったのが、九州の炭坑夫と北海道の女工であったといいます。

北海道から樺太(=サハリン)ではカニ缶の缶詰工場で働く女工が歌った《女工節》とか《カンヅメショ節》といった歌は今でも聴くことができますが、それがさらに《ナット節》として流行していました。
一方、大正時代に山形県尾花沢町でのダム建設のために各地から労働者が集まってきた時、《ナット節》が尾花沢でも流行ったといいます。また、その後昭和7(1932)年に、真室川に軍用飛行場建設のために労働者が大量に集まってきた時にも《ナット節》が歌われたといいます。ここでは《真室川花電車》といい、猥雑な歌詞で歌われていたようです・
一方、真室川出身で宮城県女川漁港の料亭で働いていたという近岡仲江が、やはり北海道生まれの船乗りから《ナット節》を覚え、真室川鉱山全盛時代に真室川へ戻って《山水小唄》として歌っていたといいます。

このようにして《真室川花電車》《山水小唄》といった形に変えられた《ナット節》を基調にして、真室川の料亭『紅屋』の女将・お春(本名・佐藤ハル)が歌詞を整え、三味線の手付けをして《真室川音頭》として広まっていくようになったといいます。

こうして北海道の《ナット節》が山形に移入されたということで、地元ではそれほど馴染みのある曲でもなかったそうです。その後、昭和26(1951)年には真室川町主催で歌詞が公募され、新しい歌詞も作られるようになりました。

毎年7月には「真室川音頭全国大会」も行われ盛んに歌われ、また8月17日には「真室川まつり」で踊られているということです。