〜新潟県新津市〜

新潟県のほぼ中央、信濃川と阿賀野川に挟まれるような場所に位置する新津。ここはかつて鎌倉時代には新津氏の居城があったといいます。また新津は、石油の原油採掘地が点在することで知られ、明治時代には国内でも屈指の産地として栄えたところだそうです。またそれによって、花柳界も栄えていたようです。

その新津で古くから盆踊り唄として歌われてきたのが、この《新津松坂》です。
伝説によると、天正・文禄の頃、新津丹波守勝資という風流を解する戦国武将が、領民の殺伐とした心を和ませようとして、歌舞音曲を奨励したといいます。折しも、伊勢の国・松阪に優雅な踊りがあるということを知った勝資は、数人を松阪にやって、その踊りを習わせて、唄と踊りを持ち帰らせます。それに手を加え、「新津松坂」と命名して今日に至るといいます。

この伝説の真偽はともかく、「新津松坂」は、室町から江戸にかけて流行った「松坂踊り」とか「伊勢踊り」といったものが源流であるといいます。同系統のものには、近くの加茂市の「加茂松坂」が知られます。

ちなみに「松坂」というと、新潟では新発田が発祥という祝い唄の「越後松坂」が思い浮かびますが、上記の通り「新津松坂」はこの祝い唄・松坂とは全くの別系統の唄です(「新津松坂」は「まつさか」ですが、祝い唄の「松坂」は「まつざか」です)。

曲は古い形の踊り唄で、詞型は様々で、
 
○秋葉山から 吹き下ろす風は 新津繁盛と 吹き下ろす
のような七七七五調を中心に、
 
○関葉山 七本松は 五本倒れて 今二本
のように、第一句を五文字にする、五七七五調といったものなどが見られます。

また伴奏は、笛と樽が中心です。三味線も入りますが、唄の部分だけに入ります。
ちなみにレコード歌手によるものは、三味線中心に通常の鳴り物入りで、「チョロリンチョロリン ハーカエセヤカエセヤ」の唄ばやしを入れて、重々しく歌われることが多いです。地元では、「チョロリン…」の唄ばやしはなく、樽入りで軽快な伴奏になっています。

地元では、8月16日に「松坂流し」が行われ、2000人以上の踊り流しがあるそうです。また8月19、20日には勇壮な「屋台まつり」が開催されるといいます。
編み笠を被って流すその踊りは、わたくしまだ見たこともありませんが、いつか行ってみたいです。