〜新潟県長岡市寺泊〜

新潟は酒処として知られていますが、酒を造る技術を持った、杜氏を中心とした酒男集団が越後には多かったようです。有名な「頼まれれば越後から米搗きに」という言葉が知られていますが、越後には酒男集団だけでなく出稼ぎをする人々が多かったといいます。

越後杜氏は、出身地別に頸城杜氏、刈羽杜氏、越路杜氏、野積杜氏などが知られていますが、それぞれに独特な酒造りのための唄が歌われてきました。「唄半給金」という言葉があります。これは、酒造りの給金の半分は唄のためという意味で、今でこそ機械やコンピュータが導入され、時計による計時も当たり前ですが、かつては唄には、計時、酒男達の気持の緊張や向上、動きを合わせる、桶数の確認などといった目的があったようです。

たまたま、わたくしが学生時代に野積杜氏(新潟県長岡市寺泊野積)の方に、酒造のお話や唄をお聞きする機会がありました。野積杜氏の唄としては、《洗場唄》《米とぎ唄》《もとすり唄》《仕込み唄》《二番櫂》の5曲。他の地区の杜氏の唄にも同系統の唄や野積にはない唄などさまざまです。また、全国的にも同様の唄があるようです。


《洗場唄》
仕込みのための道具を洗うときの唄。リズミカルな唄ではなく、非拍節的に朗々と歌われる(いわゆる追分様式)もの。

《米とぎ唄》
文字通り米をとぐ時の唄で大変リズミカルです。米のとぎ方は、桶に入って縁を手で持って、足を使ってとぐもので重労働であったようです。

《もとすり唄》
半切(はんぎり)という桶に「もと=酒母」を入れ、櫂棒でかきまぜながら歌われたものです。

《仕込み唄》
できた酒母に蒸米、水を入れて仕込んでいきます。大きな桶の上の縁に立ち、長い櫂棒でかき混ぜるときの唄です。

《二番櫂》
桶の中の醪(もろみ)の温度を均一にするために攪拌するときの唄です。

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