〜島根県松江市美保関町〜
名人・黒田幸子によるレコード
(キングレコード)

島根県の御座敷唄として知られてきた《関の五本松》は、美保関港の花街で歌われてきたものです。美保関は港町であるとともに、美保神社の鳥居前町としても知られてきました。曲名の「関の五本松」とは、美保関の港に近くにある5本の松のことで、かつては船の目印になっていました。ところが、美保神社参詣の松江の殿様のお供の槍が松につかえて、通行のじゃまになってしまい、大名はこの松を伐らせてしまったという伝説、あるいは、藩主が松江街道を通行するところ、道が狭いことと眺望がさえぎられるという理由から、1本を伐らせてしまったという説もあります。それを土地の人々がなげき、この歌詞が生まれたようです。また、4本の松を2組の夫婦になぞらえたともいいます。

天然記念物に指定されていた4本の松も、2本が台風で倒れ、1本が枯死してしまい、記念物指定も解除となり、2代目の5本松を植え、五本松公園として整備されました。

この唄の源流は、溜め池造りなどで歌われた《リキヤ節》という地固め唄だそうです。その歌詞に、香川県多度津町の天霧山の「焼香場のお井戸」が歌われているといいます。その歌詞は、

●焼香場のお井戸のような 深い私の心 ふられて茶にさりゃ 腹が立つ ショコホイ ショコイリキヤノ ホーイホイ

といったものだったそうです。
この《リキヤ節》は四国から、中国、近畿地方でも歌われるようになり、美保関にも伝わって、やがて御座敷唄として変化を遂げたものだと言われています。《関の五本松》になっても、かつては「焼香場のお井戸」の歌詞が歌われていたようです。

自分が初めて聴いたのは、松江徹さんの演唱。軽やかな伴奏で小鼓も入り、賑やかな雰囲気のものでした。その後、初代の黒田幸子さんの《安来節》のレコードのB麺の《関の五本松》を聴き、よく耳にするのはこの唄あたりらしいなと思いました。

一方、地元では保存会による《正調関乃五本松節》があります。冒頭の「ハァー」がやや短く、歌詞の終わりの「五本松」の部分を上げずに、しっかりと歌い切ります。三味線の手は、リズムが附点音符のように弾まずに刻むようなリズム、また細かくスクイバチを入れる手が特徴的で、《安来節》の雰囲気を醸し出す、しっとりとしたものとなっています。

唄ばやしは一句目の「ハァー関の五本松」まで歌うと「ハァードッコイショ」と入るのがよく聞かれます。正調では一句目と二句目の終わりに「ヨイショ」という掛け声が入ります。

《安来節》の中には、あんこ入りのおもしろい歌い方がありますが、関の五本松入りのものがあります。また、荒茅など出雲の盆踊りの中にも《関の五本松踊り》として取り入れられています。地元では流行した御座敷唄であったことが分かります。いろいろな歌い方があって、おもしろい民謡の1つです。