◆マイ・津軽三味線◆

「津軽三味線ひとり旅」
高橋竹山 1991年 中央公論社


日本の音楽としては、歴史的には大昔からのものではありませんが、もはや日本の代表的な音楽のジャンルといえると思います。だれしも「津軽」にあこがれ、とりこになってしまいます。

激しい撥さばき、打ち付けるような弾き方は迫力があります。最近は吉田兄弟のメジャーデビュー以来、津軽三味線ブームと言われ、若者を中心に広く愛好されるようになっています。

元は津軽の芸人達によって培われた音楽でした。門付けといい、家々を廻っていくスタイルで、徐々に派手な技巧を凝らすようになります。

特に、津軽三味線の始祖といわれているのは仁太坊=秋元仁太郎(1857〜1928)で、青森県北津軽郡金木町出身。金木町には「津軽三味線発祥の地」の碑があります。

また津軽などでは一座を組んで地方を巡業したという芸人の存在も忘れられません。そんな先人達の技が、延々と受け継がれてきたものといえます。

いずれにしても、日本の伝統音楽としては100年ほどの歴史と言えましょうか。「新しい日本の伝統音楽」という言い方がピッタリのようです。

「吉田兄弟」
吉田良一郎 吉田健一 2001年 リイド社

わたくしはがはじめて津軽民謡を聴いたのは、浅利みき(1920〜)の《津軽あいや節》でした。それから、ことあるごとに《津軽じょんから節》等、有名な津軽物が聴かれるようになってきました。そしてその三味線は、木田林松栄(1911〜1979)。「叩く」三味線として知られた方ですが、特に「一の糸を叩き抜いた人である」と言われます。しかし時にはきわめて繊細な音も出しておられました。



また、忘れられないのが、初代の高橋竹山(1910〜1998)。盲目の三味線弾きとして知らない人はないと思います。津軽民謡の大御所・成田雲竹の相方三味線弾きでありましたが、亡くなられるまで、やはりファンは多く、その繊細なサウンドは人気がありました。
わたくしも、たまたま生演奏を聴く機会があり、わくわくして演奏会に行きました。「芸人の芸」というものを感じました。


そして津軽物は歌だけでなく、曲弾きや大合奏など、メディアに登場するようになり、大ブームとなっていきます。
「津軽三味線スタイルブック」
これが、津軽三味線だ!
木下伸市 2003年 シンコーミュージック



ところで、津軽三味線は独特な音楽です。西洋クラシックの世界とは異なり、あるパターンがあって、それを巧みに組み合わせ?、練り上げていって、ある意味でスリリングな音楽になっています。

また、最近気がついたことに、力強い2拍子の音楽が、ころっと3等分割の拍子にかわり、また2拍子になる…。演奏者によっても違うのですが、例えば《津軽あいや節》の前弾きは、そんな感じに聞こえるプレーヤーが多いと思います。

こういう聴き方はどうかとも思いますが、2拍子と3拍子が交互にあらわれるのです。

もっとも《津軽よされ節》や《津軽三下り》などは、楽譜にすると最初から3拍子として書かれます。楽譜にすると3等分割の表示になるのですが、ただ聴いているだけですと、独特なノリの音楽だ…といった感じを受けるだけのことです。

音楽の楽しみはそんなものなのかも知れません。

これから津軽三味線はどうなっていくのでしょうか。最も新しい日本の伝統音楽ですが、これからもっと新しくなっていくのでしょうか。聴き手からしますと、どうしても《じょんがら節》のイメージがあまりにも大きい感じがあるのですが、伝統と新しさをどう表現されていくか、楽しみです。