別所温泉側の踏切側から見る駅舎

 

上田電鉄別所線は、上田駅から別所温泉駅を結ぶ、11.6kmの地方鉄道です。
上田電鉄は、蚕糸業の繁栄とその関連産業による経済力を基盤として、大正7年創業の丸子鉄道、大正10年開業の上田温泉電軌がルーツとされます。

やがてこの2社が合併して、上田丸子電鉄となり、最盛期には北東線・青木線・丸子線・西丸子線・別所線の5路線が走っていました。戦後、様々な影響から姿を消した路線も増え、昭和44年の丸子線廃止後に、上田交通になりました

八木沢駅は、上田温泉軌道株式会社による<川西線>の駅として開業したことに始まり、大正10年(1921)6月17日のことだったそうです。

その後、昭和14年(1939)3月19日には<別所線>の駅となり、上田電鉄、上田丸子鉄道、上田交通と社名の変更を経て、平成17年(2005)に、上田電鉄株式会社として、現在に至ります。



駅舎屋根上の社標?
現在は無人駅ですが、かつては駅員配置駅であったのだそうです。いま、駅舎の中に入ってみると、改札口らしい感じはなくはないですが、駅員さんがおられた駅務室のような部屋は見あたりません。

かつては、別棟だったのか、付随した部屋があったのか…。

八木沢駅にはトイレが別に建てられています(現在は使えなくなっています)。ということは、かなり立派な駅であったことが偲ばれると思います。

 

何ともおしゃれな彩色。パステルグリーンの壁です。開業当時はどんな色だったのでしょうか。いずれにしても、かつてはモダンな駅舎であったことでしょう。現在、いくらか色褪せてはきてはいます。塗り替えられたときもあったことでしょうが、レトロさとよくマッチしていると思います。
屋根はすっかり錆び、赤茶色に見えます。遠くから見ると、その色がかえって目立って見えます。
別所線の案内図


古い写真を見ると、ガラス製の駅表示が吊り下げられていたようですが、それも取り外されたとのことです。


大正時代当時の「八木沢停車場」の建築費は465円だったそうです。その内125円を会社側、残金は八木沢地区の人々の寄付によるものだそうです。

そんな歴史のある駅舎は、今でも大切にされています。いつ行っても、掃除されていますし、時には花が置かれていることもあります。雨が降ったときに自由に使えるよう、雨傘が置かれていることもあり、地域に支えられています。

また、今時珍しい(…と、わたくしには思えますが)、有線電話が置かれています。わたくしの自宅には使えませんが、この八木沢では現役なのですね。




田園地帯である塩田平を走る別所線。その中でも、この八木沢駅のホームから見渡せる風景は、郷愁をさそいます。南側には水田が広がっていますし、遠くには独鈷山系が見渡せます。逆に駅舎の佇まいを、別角度から見ると、田んぼや周辺の家々との風景と大変にマッチしています。

地元放送局のテレビコマーシャルで、八木沢駅を出発する電車を見送るお母さんのシーンがよく知られています。

 ※建て替えられる計画があるようです。どうなりますか…。