木曽郡上松町徳原/駒ヶ岳神社/5月3日 6月第3日曜(木曽駒ヶ岳開山祭)
 

長野県木曽郡上松町徳原は木曽駒ヶ岳側の木曽川東岸、東小川地区。上松町内から山手に進んでいくと、ひっそりと山懐に抱かれるような場所が徳原地区です。そのやや高台の古宮と呼ばれる場所に、駒ヶ岳神社の里宮があります。駒ヶ岳山頂の本社を奥院として、保食大神と豊受大神を勧請したのが、天文3年(1534年)とのことで、それに対する里宮です。一方、駒ヶ岳の開山は諏訪の寂本行者で、明治期以降は神主の徳原氏と尾張犬山の心明行者によって、広く講社組織がつくられたといいます。駒ヶ岳は農産や牛馬の守護神として、人々の信仰が厚かったのだそうです。その祭礼は、八十八夜の頃として5月3日に祭礼が行われてきました。太々神楽は、その祭礼と6月の駒ヶ岳開山祭のときに、奏演されてきました。

神楽は氏子中の定められた農家の長男へ一子相伝で伝承されてきたそうです。舞人は神司と呼ばれ、演目によって1人舞、2人舞、3人舞、4人舞、6人舞からなっています。音楽は、笛、鋲留め大太鼓、銅拍子(チャッパ)が使われます。舞は、出入りの楽があり、権拍子、三剣の楽といった曲に乗って舞われたり、祝詞や問答詞によって対話したりします。信州では北信の戸隠神社を中心とした太々神楽がよく知られていますが、中信地方では数が多くありません。また、演目の中の「四神五返拝」や「三剣の舞」といった舞に、鼻高面や反閇を思わせる所作、剣を用いた荒々しい舞に、修験道系の芸能であることを感じさせます。

5月3日の祭礼は午前9:00頃から始まります。まず、拝殿内で神事があり、本殿前の弊殿に移動して供物を捧げた後、祭典となります。また、弊殿向かって右側で湯立神楽が行われます。やがて9:30過ぎ頃から拝殿内の舞台上で、太々神楽が舞われます。舞台は、拝殿床よりも高く造られ、激しい足踏みにに共鳴するかのように響くようになっています。本殿向かって右側の高くなった場所が楽殿で、ここで奏楽が行われます。その奥の建物が神倉で、ここで神司たちの支度が行われます。

舞の演目は13座からなります。順番もあるようですが、実際に訪ねてみると順番の入れ替えがあったり、変更があったりするようです。神楽ですので、神倉から登場する神司は、「出入りの楽」舞台脇を通って正面から舞台に上がり、神前で拝礼の後、採物をもってから舞います。舞が終わると、採物を神前に置き、拝礼の後、舞台を下がり、神倉へと戻っていきます。
お昼頃、1時間の休憩をはさみ、午後も舞が続けられ、午後3:00過ぎには神楽は終了となります。その後、神事があって直会となります。

徳原の人々は神社へ着くと参殿して、お祓いを受けます。そして拝殿内や境内では神楽を見ながら、重箱をもってお昼を食べている姿があります。これは「山遊び」の風習といわれ、この八十八夜の祭りが終わると本格的に農作業が始まるのだそうです。

演目 舞について
岩戸開舞(いわとびらきのまい) 4人舞。鉾と鈴を手に持って舞う。
御神入舞(ごじんにゅうのまい) 1人舞。大振りの榊を持って舞う。
病気平癒幸神舞(びょういへいゆこうじんのまい) 4人舞。鈴と扇を手に持って舞う。
神代御弓舞(かみよおんゆみのまい) 1人舞。弓矢を持って舞う。四方に矢をつがえたり弓を鳴らしたりする。
陰陽津賀井舞(いんようつがいのまい) 2人舞。「陰陽の舞」と言われ、鈴と扇を持って舞う。
豊年御子舞(ほうねんみこまい) 4人舞。2本の扇を手に持って舞う。
四神五返拝(ししんごへんぱい) 4人舞。鼻高面をかけ、最初に鉾を持ち、後半は小刀を抜いて舞う。
止雨武多井舞(しうぶたいのまい) 4人舞。2本の扇を手に持って舞う。
岩戸別神鈿舞(いわとわけのかみうずめのまい) 2人舞。翁と天鈿女による舞。問答が中心。
通常津賀井舞(つうじょうつがいのまい) 2人舞。「通常の舞」と言われ、鈴と扇を持って舞う。
大宝舞(たいほうのまい) 2人舞。弓矢を持った曽儀と、杵を持った大宝による舞。
三剣舞(さんけんのまい) 3人舞。白鉢巻、たすきをかけた3人で舞う。前半は笹束と鈴を持ち、後半は抜刀で舞う。
六神行事(ろくじんぎょうじ) 6人舞。笹束と鈴を持って、入れ替わるようにして舞う。