<岩手県宮古市山口> 黒森神社 等 各地巡行 |
岩手県でも三陸沿岸に位置する港町・宮古市。市内山口には古くから修験の山で知られる黒森山(310m)があり、その中腹に黒森神社があります。その黒森神社に付随する神楽が「黒森神楽」です。三陸沿岸に伝わる神楽の中心として知られ、久慈神楽、鵜鳥神楽、和野神楽、岸神楽、猿沢神楽、末前神楽、駒形神楽、豊間根神楽、小槌神楽、丹内神楽等が黒森流とされています。
黒森神社は、社伝では坂上田村麻呂創建といい、かつて黒森大権現とか黒森観音と呼ばれ、修験の霊場でした。中世の修験者は広く東北まで進出、中でも熊野修験の活躍が著しかったといいます。その暮らしは農繁期には一般の農民と同じように農業をし、農閑期に主な活動をしていたようです。
そうした修験の勢力も明治の神仏分離により大きく変わり、黒森権現も山口村村社・黒森神社となり、祭神は須佐之男命・大巳貴命・稲田姫命とし、神社として今日に至ります。
この黒森神楽は「権現様」と呼ばれる獅子頭を奉じて舞われることで知られ、同じ岩手県でも早池峰神楽で知られる山伏系の神楽に分類されます。黒森神社の「権現様」は20頭が祀られているといい、内4頭が現役で、巡行時の舞で使われているそうです。その他は「隠居様」で、紀年名のないものもありますが、南北朝期にまで遡れるのだそうです。
また黒森神楽の特徴として廻村巡行が知られます。岩手県内では早池峰では巡行は止めてしまっており、現在で巡行を行うのは、下閉伊郡普代村の鵜鳥神楽とこの黒森神楽だけになってしまいました。
黒森神楽を奏演する神楽衆は、地元山口ではなく、各地から集まっているという特徴があります。かつては保存会組織はなく、胴取りを中心として活動し、権現様や神楽道具等の管理は別当家が行ったといいますが、神楽衆の出身地は黒森神楽巡行の霞(=壇那場)である地区なのだそうです。こんなところにも、黒森の伝統を感じさせます。
神楽の奏演は、7月の黒森神社例祭(旧・6月14日)や、数々の民俗芸能大会、各地の神社祭礼時、そして冬季の「廻り神楽」(冬神楽、通り神楽等)という、三陸沿岸地域の霞(=壇那場)への廻村巡行が主な機会です。なお、この「廻り神楽」は宮古市から北の普代村方面へ行くのを「北廻り」、南の大槌町吉里吉里あたりまでを廻るのを「南廻り」として、隔年で廻ります。また南北は、鵜鳥神楽と交互になるそうです。
演目は大変多いのですが、祈祷儀礼の部分といわゆる神楽の舞とがあります。
祈祷儀礼としては、「柱固め」、神楽宿への「舞い込み(シットギ獅子舞い込み・普通舞い込み)」「舞い立ち」、「身固め」、「船祈祷」、「神楽念仏(墓獅子)」、「後夜(ごよう)の遊び」、「お箸刈り」、「湯立託宣」などがあります。
舞には、役舞、岩戸由来の御神楽、武士舞、かずら(女舞)、品舞、荒舞、仕組み、剣舞、狂言、手踊りという分類ができるそうです。
役舞 | 清祓 榊葉(榊迎え・榊) 松迎 山の神舞 恵比寿舞 |
御神楽 | 二人岩戸 岩長姫 新岩戸開 三番御神楽(旧開) 御神楽(略式・本式) 矢太寿 木賊刈り 面揃い |
武士舞 | 信夫 曽我 鞍馬 鈴木 八嶋 敦盛 |
かづら(女舞) | 岩長姫 天女 鐘巻 機織 汐汲 年寿 蕨折 橋引 木曽 定家 苧環 |
品舞 | 恵比寿舞 松迎 翁 高砂 浦島 七福神 |
荒舞 | 山の神舞 榊葉 龍天 五大龍 五行五大龍神舞 榊葉の山の神入り 綾狂い 勢剣 |
仕組み | 笠松山 節分 篠田ヶ森 水戸祭礼記 島原 志賀団七 一の谷 阿漕ヶ浦 三韓征伐 羅生門 八岐大蛇退治 |
剣舞 | 曽我兄弟敵討ち 桜田門外血染めの雪 五条の橋 本能寺の合戦 一の谷須磨の浦の戦 |
狂言 | 粟蒔 鍛冶屋 田中地蔵 花買い 大峯万歳 一人相撲 虱の口寄せ 清水参り ツブ拾い 伊勢参り 馬鹿婿 野次喜多道中 座頭 紫堀り 根っこ切り |
余興的な<手踊り>には、松づくし、おいとこ、真室川音頭、秋田おばこ、伊勢音頭、ドンパン節、石投甚句、おこさ節、八戸小唄などが行われます。
神楽宿では、舞に先立って《打ち鳴し(座揃い)》という奏楽から始まります。舞はなく、《清祓》の舞手以外の全員が、胴取りの音頭による「神歌」に合わせて、囃します。これにより、舞庭に神様を招くという意味があります。
●打ち鳴らす 誰も鳴らさぬ 山男 鳴らして後は 君が喜ぶ 等の神歌です。最後に塩をまいて、場を清め、舞が始められます。
◆太鼓 | ◆鉦 |
黒森神楽の音楽は大変軽快な曲が多く、独特なものです。使われる楽器は笛、太鼓、鉦の3種類です。
太鼓は枠付きの締め太鼓に分類されるもので、中振りの「大拍子」といった感じのものです。バチは細めのものを使いますが、それぞれの端を太くしたり細くしたりしてあります。実際の演奏では、太鼓を立てて、両手に持ったバチで革の両面を打ったり、フチをカツカツと打ったりします。またバチをクルクルと回しながら打つ姿は華麗です。また胴取りは太鼓を打ち鳴らしながら「神歌」の音頭を取ります。また、狂言などでは神楽衆とのコミカルな会話をしていました。
岩手の神楽になくてはならないのが鉦です。「テンビラガネ」(手平鉦)と呼ばれる銅拍子(どびょうし)です。カチャカチャと延々と音がしますが、何とも神々しさを感じさせるサウンドです。
そしてメロディを担当するのが笛です。音階は半音を含み、都節音階のように感じます。律音階に感じる内陸の早池峰神楽の旋律は、古風な感じがしますが、半音を含む黒森神楽の旋律は洗練された雰囲気が醸し出されています。大変美しい旋律が聞こえてきます。
大変多くの演目を有し、冬季の廻村神楽の伝統を守り、数々の祈祷儀礼を残す黒森神楽は、2006年度に国重要無形民俗文化財の指定を受けました。
<神楽巡行採訪記>(2007年2月10日〜11日)
◆朝の浪板海岸 |
◆神楽宿・S氏宅 |
念願の黒森神楽の神楽宿での見学のために、2007年度の南廻りの巡行に出かけました。場所は岩手県上閉伊郡大槌町浪板地区。寄せる波はあっても返すことのない「片寄波」で知られた浪板海岸は、大変きれいで、海水浴客やサーファーで賑わう場所だそうです。
そんな浪板地区では隔年で、この2月に黒森神楽が巡行してくるのだそうです。今回、2晩に渡って神楽宿を引き受けられたS氏宅を紹介していただき、夜神楽を拝見させていただきました。
◆権現様 |
こちらは築100年を越すという農家の旧家です。黒光りする柱や梁に時代を感じさせます。座敷に上がらせていただくと、障子が目に入ったのですが、これが案外新鮮な感じがしました。また大きく仕切られた仏壇と、そのちょうど上には立派な神棚が設えられいます。その左側の部屋に神楽幕を張り、この座敷が舞庭となりました。
神楽宿におじゃまして、神楽衆に「花」を渡そうとすると、奥の床の間に祀られた2頭の権現様の場所で奉納するようにとのことで、ドキドキしながら権現様の前で拝礼してきました。
なお、神楽衆はここで実際に宿泊し、宿の方から食事等を準備され、過ごすのだそうです。神楽宿に入るには、「舞い込み」という儀礼的な舞によって、入るのだそうです。わたくしは、今回は時間の関係で間に合わず、見ることはできませんでした。
さて、夜神楽は6:30〜11:00。地区の方々や黒森神楽を見たいという人々が30〜40人ほどが集まって、座敷に設えられた舞庭での舞の奏演を見ます。やはり、祝儀袋や酒を手にした方々が、神楽幕の中に入り、権現様の前に奉納していかれます。こんなところに、浪板の皆さんの神楽へ信仰や期待をうかがわれるような気がしました。
さて、いよいよ神楽が始まります。神楽宿では、まず《打ち鳴し(座揃い)》という奏楽から始まりました。これよって、場が清められ、いよいよ舞が始まります。
今回の神楽宿は2晩同じ宿ということで、重複しない演目が選ばれました。その演目は以下の通りです。
2007年2月10日(土) | 2007年2月11日(日) | |
@打ち鳴し(座揃い)(6:30〜6:40) A清祓(6:42〜6:56) B榊葉(6:57〜7:19) C新岩戸開き(7:26〜7:47) D御神楽(7:50〜7:59) E八岐大蛇退治(8:04〜8:30) F松迎(8:35〜8:57) G山の神舞(9:08〜9:45) H恵比寿舞(10:02〜10:23) I【仕組み】節分(10:30〜10:51) |
@打ち鳴し(座揃い)(6:37〜6:47) A龍天(6:55〜7:10) B岩長姫(7:11〜7:30) C三番御神楽(7:35〜7:57) D【狂言】鍛冶屋(8:12〜8:55) E山の神舞(9:01〜9:40) F【手踊り】 ・おいとこ ・真室川音頭 ・おこさ節 (9:52〜9:58) G浦島(10:07〜10:47) |
1晩目は役舞や御神楽等が多く、式舞的な雰囲気で始まりました。そして「仕組み」のような演劇的要素の多いものも演じられました。
2晩目には、狂言や手踊りといった楽しいものも挿入され、観客と神楽衆が一体となった雰囲気で、大変よかったです。
各演目は20分前後のものが多いようです。【山の神舞】は40分にわたる壮大なものです。
<山の神舞>が終わると中入りとなって、振る舞いがあり、また花の披露が幕の前で神楽衆によって行われました。
狂言もユーモラスで、神楽衆と胴取り、また観客を巻き込んで、楽しい雰囲気で進められますが、やはり40分以上になります。
また2晩目に踊られた「手踊り」は、いわゆる神楽ではないのですが、こうした巡行での一時では、所望されると、民謡が歌われ、面白可笑しく踊られます。太鼓も縦ではなく横に置かれ、賑やかに囃されます。かつては三味線も入れられたこともあったのだそうです。民謡といえば、2晩目の最後に演じられた【浦島】では、最後の部分で《遠島甚句》が歌われ、ちょっと驚きました。
歌といいますと、当地方では「御祝(ごいわい)」という目出度い唄が歌われます。特に太鼓や手拍子が独特なリズムを打ちながら、歌うものです。神楽の中でも、<新岩戸開き>のなかで歌われていました。このとき、観客をよく見ていると、一緒に手を打ったり口ずさんでいる方もありました。こんなシーンを見ると、生きている「民俗音楽」といった感じがします。
とても楽しかった神楽宿での舞。これは。イベントでの舞では味わえない雰囲気があるように思いました。わたくしが神楽宿での舞を見たいなと思ったのは、かつて見学した「鵜鳥神楽」がやはり、とてもいい雰囲気で、しかもまだこんな世界が残っているのだ…という感動があったからでした。
またぜひ行きたいです。【2007.2.18記】