長野県長野市松代町/不定(要請により上演)

 ◆真田邸の入り口◆

真田十万石の城下町として知られる松代は、現在は長野市に合併しましたが、かつては埴科郡松代町でした。その旧市街である八ヶ町(肴町・伊勢町・鍛冶町・荒神町・紺屋町・紙屋町・中町・馬喰町)によって伝承されてきた「大門踊」という芸能があります。日本中にも知られていたという「松代天王祭(祇園祭)」の出し物としてよく知られてきました。

いわれとしては、慶長年間、松平忠輝公が城主であったとき、将軍家に男子が出生したことを祝福するために催されたものであるそうです。そして、元和8年(1622)に上田から移封してきた真田信之公の時代になって松代天王祭の折りの上覧踊りとなったといいます。天王祭は6月18、19日に行われ、藩主は伊勢町の桟敷でいくつかの余興の芸能を見物し、夕刻に帰城し、、海津城大門前に臨時で設けた松葉桟敷に着席すると、この踊りが演じられたといいます。こうして松代藩主に上覧のために踊られたことから、「大門(おおもん)踊」とか「大御門踊」「大尾踊」等と呼ばれてきました。

ただし、維新後は休止し、大正10年(1921)、松代開府300年祭の時に有志によって復活されたそうです。また大正15年、全国舞踊民謡大会に上演したところ、審査員であった信州出身の文学博士・高野辰之が、古い伊勢踊りの風があるこの踊りが松代に残っていることに「誠に珍とするに足る」と絶賛されたと伝わっているそうです。

踊りは肴町の「御先踊(おんさきおどり」、「七ヶ町踊(ななかちょう)」、「千秋楽(謡曲)」からなります。伴奏は裃に編笠を被った囃子方によって横笛、太鼓、大鼓、小鼓が奏されます。歌は地唄と口説(くどき)に分かれて掛け合うように歌われます。

御先踊:大きな団扇と田楽行燈をもった天狗の先導で、踊り手が輪を書くように入場してきます。ゆったりとしたテンポで端唄調のしっとりとした曲調の歌が歌われます。踊りもそれに合せて、扇をゆらゆらとさせながら円陣を囲むように踊ります。

七ヶ町踊天狗が円の中心の囃子方付近に移動します。曲のテンポが速くなり、囃子唄のようなリズミカルで賑やかな曲調になります。「松原越えた よいやさ越えたえな」といった歌詞で挟まれた一連の歌詞が、いくつか並びます。踊りも跳躍的な足運びにもなり、躍動的になります。

千秋楽:「七ヶ町踊」が一段落になると、踊り手は元の位置に戻り、「千秋楽」の謡曲になります。武家の町である松代は能楽の盛んな土地柄で、格式高い雰囲気で踊りが終わります。