〜兵庫県篠山市〜

兵庫県篠山市は篠山藩青山氏6万石の城下町でした。この篠山で歌い踊られてきたのが《デカンショ節》です。
これはもともと《みつ節》(《三つ星》《三つ節》とも)と呼ばれる唄が源流であるといいます。そのもとは手を3回打つところから《三つ拍子》というもので、ルーツは関西に多く残る口説の盆踊り唄であったようです。これは《江州音頭》のような「ヨイトヨイヤマカドッコイショ」といった唄ばやしがあったのだそうですが、やがて《みつ節》となって「ヨーイヨーイデッコンショ」と訛ったといいます。そして篠山では「ヨーイヨーイデッカンショ」となって、今日に伝えられます。

がところで、この唄がよく知られるようになったのは、旧篠山藩青山が忠誠が開いた鳳鳴塾(ほうめいじゅく)の学生が歌い、酒席で盛んに歌われるようになったといいます。また青山忠允等、篠山出身の若者達がたまたま千葉県館山へ海水浴に来ていたとき、この唄を歌っていたのを、一高生の水泳部員たちがこれを寮で聞き、覚え広めたといいます。そして学生仲間の間で流行した唄となっていったそうです。

ところでこの「デカンショ」については、哲学者デカルト、カント、ショペンハーウエルを省略したものだと言われることがあります。ただこれは、上記のように、学生達の間で広まったということで、学生達のこじつけかと思われます。

また「出稼ぎしよう」という意味だとか、青山藩士が徹夜で飲み、歌い明かしたということで「徹今宵」から「テッコンショ」となった、「天下将」から「テンカノショウ」となった、方言の「デゴザンショウ」から転訛した…等さまざま言われています。

しかし民謡の唄ばやしですから、もともとの《みつ節》の「デッコンショ」の変化でしょうし、さらに遡って「ドッコイショ」程度のはやしの転訛と考えた方がよさそうです。

さて曲名について《デカンショ節》を《篠山節》とか《丹波篠山節》と呼ぶ例があります。篠山の唄というネーミングなのでしょうか…。実は地元には全く別なメロディの《篠山節》が伝承されています。
○帰りゃしゃんすか 袖引き留めて(ハ キタサ) 忘れしゃんすな 篠山を(ソリャソーリャ コーリャコリャ)

この唄と区別するためにも《デカンショ節》と呼ぶのが適当かと思われます。

また《安来節》の黒田幸子の演唱のものは、
○丹波篠山 山家の猿が(アヨイヨイ) 花のお江戸で芝居する(ヨーイヤレコリャ デッカンショ) 
  コラ山家の猿が(アヨイヨイ) 花のお江戸で芝居する(ヨーイヤレコリャ デッカンショ)
という形で、後半に返しを付けています。
これは崎山健太郎が編みだし、前田悦太郎が流行らせたのを、尺八の渡辺嘉章が聴いて、黒田幸子に教えたものと言われています。

地元では毎年8月15〜16日には「デカンショ祭」が行われ、盛んに歌い踊られているようです。