〜秋田県本荘市〜

秋田県の西南部、日本海に面した本荘市は、かつて古木(ふるき。古雪とも)港の港町、また六郷氏2万石の城下町であったところで、かつては花柳界もあって賑わった場所でした。ここに秋田民謡の代表曲の1つ、そして東北に残される「追分節」の名曲《本荘追分》が歌われてきました。
これは「追分」というネーミングからも分かるように、信州・追分宿で歌われていた追分節が、越後から北海道へ北上する折りに、秋田にも伝えられ歌われるようになったものです。
古くは、
○立石堂 立石堂の坂で ホロと泣いたり 泣かせたり
というような古い歌詞で歌われていたようです。これは《信濃追分》などで歌われる、
○追分桝形の茶屋で ホロと泣いたが 忘らりょか
の歌詞の変形であることははっきりしています。
ところが、大正11(1922)年と同14(1925)年に、鳥海新報という地元の新聞社が《本荘追分》の新しい歌詞の懸賞募集をしてから、旧来の歌詞は歌われなくなったといいます。

またこの唄が知られるようになったのは、昭和32(1957)年のNHKのど自慢コンクールで、長谷川久子が優勝したことからで、三味線は、秋田三味線の浅野梅若(1911〜)の手付けによるものです。浅野梅若は、昭和4年に秋田三味線の重力市太郎から習ったものを基本に、梅田豊月の津軽三味線の手を加えて確立したものといいます。

かつて信州の「追分節」は三下りで弾かれていましたが、東北では本調子となって、華やかさを増しています。
そんな曲弾き風な華やかな前奏に始まり、高調子の「ハァー」で始まる今日の《本荘追分》は、決して楽な唄ではありません。そして一見華やかなお座敷唄のようですが、やはりどこか「追分節」特有の、哀愁感のようなものが漂っています。