〜茨城県東茨城郡大洗町、ひたちなか市・那珂湊〜

茨城県の東、那珂川の河口の大洗、那珂湊あたりで歌われてきた座敷唄です。大洗町で生まれ、那珂湊で育ったともいうべきこの民謡は、東日本の座敷唄の代表格と言っても過言ではない名曲です。

◆磯節発祥の碑(茨城県東茨城郡大洗町)
◆願入寺(茨城県東茨城郡大洗町)

この唄の元は《イッチャ節》という酒盛り唄であるとも、大洗あたりの海岸の漁師が歌っていた《艪漕ぎ唄》ともいいます。それが那珂湊あたりの花柳界で歌われ、また大洗の祝町の渡辺精作(竹楽房)という俳句の宗匠が、今日の形に近いものをまとめたといいます。

◆那珂湊の町並み(茨城県ひたちなか市)

○磯で曲り松 湊で女松(めまつ) 中の祝町 男松
と歌われている大洗・祝町は、願入寺の寺領が開放され、海の男相手の花街になったところといいます。

更に、那珂湊の置屋の藪木萬吉(ゲタ萬)が今日のものにし、三味線の手も編み出したようです。その娘、水戸の花柳界の金太が歌う節回しが、現在よく知られているもののようです。現在よく耳にするものよりも、ややテンポが遅く、しっとりとした唄でした。

一方、《磯節》を広めた関根安中も忘れられません。彼は明治10年生まれで、大洗で鍼医をしていました。ところが、水戸出身の横綱・常陸山に見いだされ、彼は安中をたいこもちとして、各地の巡業に連れて歩き、先々で《磯節》を歌わせたといいます。
なお関根安中の歌う《磯節》は、割合野性的な唄でした。

なお、はじめてレコード吹き込みをしたのは大正4年(1915)、吉原〆治でした。また大正14年(1925)には関根安中がNHKから放送をしたといいます。

現在よく聴かれる節回しは、那珂湊の尺八家・谷井法童によるもので、水戸の金太の妹・秋子から習ったものを、更にゆったりと歌いやすいものにしたものだそうです。


大洗町と那珂湊とは那珂川を挟んで、向かい合っている場所です。「磯で名所は大洗様の…」と歌われた大洗様とは、大洗海岸を見下ろす場所にまします大洗磯前神社です。また海岸沿いの大洗町観光協会の裏には、「磯節発祥の碑」があります。字は西條八十の書による《磯節》の歌詞が書かれています。また、この場所に立つと、両脇にあるスピーカーから、関根安中演唱による《磯節》の録音が流れ出します。

大洗の祝町、願入寺あたりも歩いてみましたが、現在とても静かな佇まいの町並みで、往時をしのぶ雰囲気はありませんでした。また那珂川を挟んだ、ひたちなか市那珂湊は海の町!といった佇まいでした。那珂湊は天満宮の八朔祭で知られます。