〜石川県七尾市〜
◆七尾港◆
◆七尾まだらの譜◆ 

能登半島の付け根、「口能登」と呼ばれる七尾は、まさに能登の入口。応永5(1398)年、畠山満則が七尾城を築いた歴史があり、畠山氏は8代、180年の繁栄をもたらしました。しかし戦国の世、上杉謙信によって攻略され滅亡してしまいます。

そんな歴史ある七尾で古くから歌い継がれてきた祝儀唄が《七尾まだら》です。

◆七尾まだらの碑◆

この唄は大変重々しく、また格調高く歌われています。演奏会用としては、三味線と尺八の伴奏で歌われます。印象的なのは、地元の人々が紋付袴姿で勢揃いして、手拍子のみで朗々と歌われるシーンです。また、能登を代表するともいえる5月の七尾・青柏祭では、「でか山」と呼ばれる山車の前で、やはり手拍子のみで歌われます。


かつて藩政時代には廻船問屋が、正月11日の「起舟(きしゅう)」に、船頭や水夫を招待して祝宴を催したといい、その折りには大変厳粛にこの唄を歌ったものといいます。

ステージ民謡としての伴奏つきでの歌い方もいいですが、やはりこの唄は手拍子のみで、海の男達の唄といった雰囲気を醸し出しながら、朗々と歌われるスタイルが合うようです。


「まだら」という唄は、佐賀県の馬渡島で生まれたという《馬渡節》が元であるといいます。現在でも能登を中心に北陸には残っており、伝承があります。能登では輪島市の《輪島まだら》《輪島崎まだら》がよく知られています。また、こうした唄が各地に運ばれ、富山・魚津市、黒部市では《布施谷節》となったといいます。日本海沿岸の、歌詞の一文字一文字を長く伸ばす唄は、この「まだら」の仲間であるように言われています。

七尾の街を歩くと、「七尾まだら」の碑が目に入ります。また、追分のような譜もありました。やはり七尾の人々にとっては、大事にされていることがうかがえます。

この唄は、大変産み字を長く引っ張って歌われますので、ただ聞いていると歌詞の意味を聴き取ることが難しいほどの曲です。しかしメロディは大変おもしろく、また海の唄らしく、波を思わせるような独特なメリスマティックな歌い方が独特です。また歌詞の生み字とは別に合間に入ってくる「エヨエーエヨ」といった独特な歌い方が面白く、また歌詞の聴き取りづらさでもあるように感じさせます。

地元以外の人にはなかなか歌えない難曲だと思います。