塩名田宿の唄

〜長野県佐久市塩名田〜

佐久市塩名田は旧浅科村。中山道69宿、岩村田宿と八幡宿の間、塩名田宿として栄えました。街道の途中には千曲川が流れ、渡し場としても栄えました。また、千曲川の釣り場、米穀の集散地としても栄えたといいます。かつては助郷人足が常駐し、また飯盛り女も置かれたといい、かなり賑わいを見せた宿場であったそうです。この宿場で歌われてきた民謡に《塩名田節》と《塩名田甚句》があります。

◆塩名田宿 本陣跡


《塩名田節》 
かつての旅籠や茶屋は、中山道の宿駅廃止後に芸妓屋に転業したといいます。特に塩名田は、北佐久地方でも芸妓が多い土地であったようです。こうした宿場には、各地の流行歌が賑やかに歌われてきましたが、その一つとして、この唄が歌われてきました。一説には《トコトン節》が発展したものともいいます。
歌詞の一つ一つは、七五調を4回重ねた四十八字からなります。二上りの三味線伴奏、鳴り物は太鼓に小鼓、テンポはゆっくりめで、都節音階によるしっとりとした曲調です。塩名田の風情を巧みに歌い込んだ歌詞が、大変魅力です。
♪塩名田帰りの千鳥足…という印象的な文句もおもしろく、また塩名田宿がいかに賑わっていたのかがうかがい知ることができます。

《塩名田甚句》 
こちらはテンポが速く、賑やかです。こちらは全国的に流行した《二上り甚句》です。これは日光例幣使街道・千住宿で歌われた《千住節》が大元であったようです。江戸末期から明治期に大流行したもので、各地に同様に定着し、《○○甚句》あるいは《茶屋節》、《○○舟唄》といった形で民謡化しています。県内では埴科郡坂城町、かつての北国街道坂木宿で歌われてきたの《坂木甚句》がよく似ています。歌詞は七七七五調の甚句型、二上り調子の三味線伴奏が付きます。

両曲とも、なかなか歌う方がおられなくなり、伝承も難しくなってきたようです。地元では、民謡歌手による音源をまとめ、CD化されました。後の世まで残そうという動きが地元から生まれてきました。なかなかいい曲ですので、広く歌われることを期待します。