〜兵庫県多紀郡篠山地方〜

兵庫県は篠山地方と聞けば、言うまでもなく《デカンショ節》がすぐ思い浮かびます。
京都・亀岡から天引峠を越えて、篠山へ出て、更に柏原から福知山へ向かう旧・山陽道の駄賃馬の馬方が歌っていたものが残っていたようです。しかし歌詞しか残っていなかったと言います。

それを丹波民謡界の北村法志津が、師である茨城・那珂湊の《磯節》の谷井法童に作曲を依頼、出来上がったのが現在聴くことが出来る《丹波馬方節》であるといいます。

歌詞に出てくる「丹波与作」とは、《デカンショ節》に登場する「丹波与作は馬追いなれど、今じゃお江戸で二本差し」で知られる丹波与作は、篠山の生まれで、百姓であったが馬追いをして、文武両道の修業に励んで、やがて江戸で武士になったという伝説があります。

その後、《鈴鹿馬子唄》も歌われるようになったという、近松門左衛門の「丹波与作待夜小室節」などとして知られるところとなります(ただこれは、地元の伝説とは離れた内容の「世話物」の作品ではありますが…)。そうした丹波与作は当地の古い唄には出てくる人間像の一つです。

こうしてこの《丹波馬方節》は、数少ない西物の「馬方節」の代表曲の一つといえる存在の曲として、広く歌われています。
特に、「お国エ」の後の「ハァーアー」の節が独特で、なかなかいい旋律です。全体に朗々と歌い上げるのですが、とてもしっとりとしたメロディの名曲です。