〜長崎県平戸市〜

長崎県北西部の北松浦半島の北西端、かつての航路上の難所・平戸瀬戸をはさんだところに平戸島があります。かつて松浦氏の城下町として知られ、鎖国以前は対外貿易の中心地であったそうです。その東北端の田助は、帆船の水先案内人がいたといい、潮待ち風待ちの港として賑わったそうです。この田助港では帆船の船乗り相手の芸妓や遊女がいたといい、平戸女郎たちによって《ハイヤ節》が歌われてきました。九州では熊本県の《牛深ハイヤ節》がよく知られ、日本中の港町に運ばれるのですが、この平戸では《田助ハイヤ節》としてよく知られています。

「ハイヤ可愛いや…」で歌い出されるこの《ハイヤ節》は、九州の歌らしく元気のある歌です。各地に大同小異の曲が伝わっていますが、田助の歌はリズム感がやや穏やかな感じです。特徴的なのは毎回、歌の後に付く「長ばやし」で、花柳界で歌われてきたおもしろさがあります。他所の「ハイヤ節」は、「ハイヤエーハイヤ」という出だしがあって歌詞に入るパターンが多いようですが、この田助ではこれを省略して出だします。

なお、田助は明治維新の志士たちも集ったといいます。
 ○田助角屋(すみや)に 残した文字はエー 名も高杉のサーマ 筆の跡エー
   「御国(みくに)のためと西東 尽くす誠をいつまでも 末の世までの語り草」
 ○西郷大隈 御国の大事エー 語り合い島サーマ この田助エー 
  「薩摩隼人の血を受けて 御国を思う一念は 散って維新の花と咲く」

といった歌詞も残っていて、当時を偲ばせます。ちなみに「角屋」とは田助の女郎屋の名前。高杉晋作、西郷隆盛、桂小五郎、大隈重信、山県有朋といった面々がこの遊郭で飲み明かしたのだそうです。

現在では「平戸夏まつり」として、《田助ハイヤ節》が総踊りなどでにぎやかに踊られているようです。