〜青森県津軽地方〜

《津軽山唄》は、青森県も西部の山村で歌われてきた祝い唄です。津軽民謡というと、三味線伴奏による華々しいイメージがありますが、尺八伴奏によるしみじみしたものは《謙良節》と並んで、この曲も竹物の名曲だと思います。

◆南津軽郡浪岡町から見る岩木山◆

源流はよく分からないのですが、青森県、岩手県、秋田県に分布する「十五七節」という祝い唄であると言われています。しかも岩木山などの山岳信仰に対する、山の神への祝いの唄であったようです。同系統の民謡には《ひでこ節》《そんでこ節》などがあります。
「十五七節」とは、天明年間(1780年〜)、菅江真澄の旅行記『鄙廻一曲(ひなのひとふし)』に、記述があるといいます。それほど古くからの唄であったことが想像されます。

「十五七」の意味とは、成熟期の乙女のことである、西津軽郡十三村下山に住んだ木樵(きこり)の「重五七」という名から木樵のことである、南津軽郡大光寺の孝行息子の名前である…といった説があるそうです。また、山岳信仰に関連して、十五日、十七日の山登りの日のことを意味するといい、この唄を歌って、山の神に身の安全を祈り、山の木を伐らせていただく、といったことがあったようです。

このように「山の神唄」であったものを「山唄」と呼んで、祝い唄として座敷でも歌われるようになったといいます。

なお、この《津軽山唄》には「東通り「と「西通り」という、2種類の歌い方があります。このネーミングは、津軽民謡の大御所・成田雲竹(1888-1974)によるもので、昭和12年にNHKから放送される時に命名されたものといいます。

「東通り」と「西通り」とは、岩木川を中心とした東西での違いということになります。
《東通り山唄》は、《古調津軽山唄》とも呼ばれるように、大変古風なメロディです。こちらの方が古く、旧南部領側の《南部山唄》などと同様のものです。音階的には【律音階】であって、一般の民謡にはそれほど類を見ないものです。現在でも歌う方は、あまり多くないです。

一方、《西通り山唄》は、現在よく耳にする節の方で、【都節音階】による哀調を帯びたメロディで知られます。古調である「東通り」のメロディを洗練したものと言えます。

《津軽山唄》と言えば、成田雲竹、川崎キエの名人が競いました。現在では成田雲竹の節廻しをさすといいます。

このページの画像は、<松崎じぇんご2>のとらねこさんから拝借しました。