〜宮崎県都城市〜

宮崎県都城市を中心とした南九州で、大変歯切れ良い調子で歌われてきたのが《安久節》です。「ヤッサヤッサ」という掛け声が特徴です。

もともとここらあたりは島津領であったといい、文化的には薩摩の香りを残すといいます。また、かつて都城領からは島津公の命を受けて、本郷久武が120人もの安久武士を従えて琉球出兵に参戦することとなり、その時、士気を鼓舞するために歌い出された「陣中歌」であったという説も残っています。

広くは座敷での騒ぎ唄であったようです。酒宴では、この地方では《六調子》《おちえ(大津絵)節》などの唄が最初に歌われ、宴も進んで終わりに近づいた頃に<安久節>が延々と歌われたといいます。また労作唄としても歌われたといいます。

伴奏は三下りの三味線、あるいはゴッタンで伴奏されてきました。それに賑やかな太鼓が入ります。周辺には《ヤッサ節》《ヤッサイ節》などどして、同系の唄が残っているそうです。そしてよく知られている《鹿児島おはら節》の原型と目されています。

○武士も武士武士 安久の武士は 都州島津の オハラ侍じゃ

という詞型は7775調で、第3句のあとに「オハラ」が挿入される甚句でしょう。これらの唄は、《天草節》とか《松島節》といった曲名で歌われていたそうです。「ヤッサ」という掛け声と「安久」とは似ているので、《安久節》と書いて、《やっさ節》と呼ぶのか紛らわしい感じもします。

現在では、毎年8月第1土曜日に開催される「盆地まつり」で盛大に《安久節》が踊られているそうです。