<長野県下伊那郡天龍村坂部> 大森山諏訪神社/1月4〜5日 |
信州も最南端、天龍村坂部はかつて「左閑辺(さかんべ)」といい、急斜面に貼り付くように開けた山村です。そして周囲から隔絶されたような自然環境はまさに「隠れ里」であり、かつて中世の落人伝説を残す場所でもあります。
また「熊谷家伝記」を残すことでも有名です。これは文和元年(1352)に熊谷貞直が坂部(左閑辺)土着して以来の記録を、熊谷家12代目当主・熊谷直遐が明和5年(1768)にまとめ上げられたもので、当時の社会的なことや信仰や宗教的なことに至るまでの記述があるといいます。
そんな古い伝承を残すこの坂部で中世以来の伝統を保つ、霜月の「湯立神楽」が「坂部の冬祭」です。元々は旧暦・霜月の12月15日の夕刻から翌朝にかけて行われており「霜月祭」と呼ばれていたそうです。坂部では大小様々な「まつり」が年中行事として現在も執り行われており、この「霜月祭」も新暦正月4日に日程が移行され、「冬の祭り」といった意味合いで「冬祭」と呼ばれるようになったようです。
この「冬祭」が世の中に紹介されたのは、「花祭」の研究で知られる早川孝太郎で、その後古式をとどめるまつりとして、やはり民俗学研究には欠かせないまつりとして知られてきました。
まつりは1月4日の夕刻、午後6:00に、下の森<火王社>から出る「お練り」に始まります。暗い集落の中を巡行し、上の森とも呼ばれる<大森山諏訪神社>へ練り込みます。
そして拝殿前で「伊勢音頭」「願人踊り」が踊られ、そして拝殿内での諸行事が執行、湯立、面形の舞などが行われます。
拝殿内では、舞堂と呼ばれる部分の右側にしつらえられた囲炉裏の周辺と拝殿の中央あたりが舞の場となります。囲炉裏には湯釜が置かれますが、その奥を「御殿」、拝殿中央あたりを「おもて」と呼び、その2座で主な舞が位置を交替しながら舞われます。
午後10:00頃からの「花の舞」が最初のメインで、深夜12:00頃まで稚児の舞が続きます。その後、「大神宮の御湯」以降、このまつりの重要な部分を占める「湯立」が行われます。また明け方の午前6:00頃から「面形の舞」として、「たいきり面」などさまざまな芸能が繰り広げられます。
やがて「魚釣り」まで終わるのが、午前10:00頃で、その後「湯立て」が2立て、そして「火防の舞」まで終わるのが、正午をまわります。
坂部の舞の特徴として「三三九度」というキーワードがあります。整然と「3」という数字に支配された型式をとり、神との「契約」をあらわす舞を構成しているといいます。これを知っていると長々と舞っているように思えても、実は整然としていることが分かります。
坂部は何度も訪ねたい場所です。人数も減り、かつてあった「坂部分校」も廃校となったと聞きます。しかし、ここに暮らす皆さんは坂部を愛し、この大がかりなまつりも、坂部の誇りとして大切に伝承されておられます。
次第 |
1 お練り |
2 宿入り |
3 伊勢音頭・願人踊り |
4 献供式 |
5 浦安の舞 |
6 座固め・天狗祭り |
7 注連引き |
8 御供渡し |
9 大庭酒 |
10 順の舞 |
11 申し上げ |
12 釜洗い |
13 湯祓い |
14 花の舞 |
15 大神宮の御湯 |
16 火の大神の舞・湯立 |
17 神楽大神の舞・湯立 |
18 津島大神の舞・湯立 |
19 切替え |
20 湯祓い |
21 面形迎え |
22 東方浅間神社の舞・湯立 |
23 諏訪神社の舞・湯立 |
24 たいきり面 |
25 獅子面 |
26 鬼神面・天公鬼・青公鬼面 |
27 水王様 |
28 火王様 |
29 翁面 |
30 日月・女郎面 |
31 海道下り |
32 魚釣り |
32 八坂神社の舞・湯立 |
34 面形送り |
35 神妻大神の舞・湯立 |
36 止湯 |
37 火伏せ |
38 直会 |