(長野県埴科郡坂城町)


信州は全県に伊勢の太神楽獅子舞が多く伝承されています。中でも北信(長野県北部)地方は、特に伝承が多い地域です。坂城町は、古くは「坂木」と表記され、中仙道・追分宿から分かれた北国街道の「坂木宿」の宿場町として栄えた場所です。町内は千曲川が流れ、近年は工業とリンゴ栽培等で知られています。また忘れられないのは葛尾城主・村上義清公は、戦国時代に活躍した信濃の名将の一人で、後に御天領であった坂城の歴史とともに忘れられません。
町内各地の鎮守の神社で、五穀豊穣、氏子繁栄、家内安全といった祈りを込め、悪魔払いを中心とした獅子舞を「太神楽獅子」と呼んでいます。神楽というと、伊勢神宮や熱田神宮の信仰の伝播者である御師(おし)という下級の宗教者による神事としての舞をさし、これを特に「太神楽」と言います。

坂城町教育委員会 太神楽編纂委員会
 『太神楽さかき』
 2002年

江戸時代では伊勢詣りが大衆に支持され、伊勢や熱田へ参拝する人々が増加するのと並行して、各地へ出向いて、神札の配布や祝祷を行う太神楽の巡回も盛んになっていきます。こうして、地方の信者の参拝を代行する「代参」の意味から「代神楽」だったともいいます。
一方、伊勢の御師による獅子神楽のお祓いを受けることにより、伊勢の神楽を奉納をしたのと同じご利益を得ることが出来るという信仰から「大神楽」、または「大神宮御神楽」の中三字を省略して「大神楽」と呼ぶようになったともいいます。

尾張熱田派の太神楽は寛文年間(1661〜1672)に江戸中心に進出し、江戸太神楽の母胎として分布します。また、伊勢派も2、30年遅れて江戸に進出します。徳川幕府全盛期には江戸の太神楽は、熱田派・伊勢派それぞれがあり、なかでも丸一系神楽として、長野あたりにも流布しました。
当地域の神楽は、獅子は江戸丸一系太神楽であることがよく分かり、獅子の幌や神楽(巡行するときに太鼓を着け、頭を運ぶ神輿状ののもの)の引幕、舞台の飾りなどに「丸一」の紋が描かれています。春秋の祭りはもとより、特別なイベント等でも招聘され、舞われることも多いようです。
坂城の太神楽獅子は、隣接する上田市や千曲市にいたるまで、同系統の獅子舞が多く、それらと交流があって、今日まで伝えられたものと思われます。

特徴としては、「神楽」と呼ばれる、宮型の屋台を長持に設え、御幣を立て、大胴、小胴といった大小の太鼓をくくりつけ、これを打ちながら地区内を廻っていきます。また、太神楽芸の本来の姿である「悪魔払い」を奉じるものと、歌舞伎の場面や多彩な舞踊など余興芸を付加し、大規模に仕立てたものとがあります。庶民にとっての獅子舞を、「神楽」と呼び、地域で大切にされてきた芸能でもあります。

平成14年(2002)刊行の「太神楽さかき」によれば、坂城町内で10ヶ所の伝承があります。一つ一つを眺めても地区によってバリエーションがあります。基本的な「神事舞」の部分を丁寧に残す一方で、地区によっては伊勢音頭踊りを踊ったり、曳き屋台を残し、華やかな演出にしていたりします。



地  区 機 会(日 時) 場 所
鼠宿太神楽獅子 秋祭(9月最終土曜日) 新年(1月1日) 節分追儺祭(2月3日前後の土〜日曜日 会地早雄神社
新地太神楽獅子 秋祭・宵祭(9月最終土曜日 元始祭(12月31日〜1月1日) 会地早雄神社/蚕影神社/白山神社 等
金井太神楽獅子 秋祭(9月第4土曜日)  宇佐八幡宮/公民館/地蔵堂 等
入横尾太神楽獅子 春祭(4月15日に近い日曜日) 速素戔鳴神社
南日名太神楽獅子 春祈祷祭(3月第4日曜日)   季野宮(天満宮) 
北日名太神楽獅子 春祈祷祭(4月第3日曜日)   公民館/三社山神社 各地
上五明太神楽獅子 春祭・宵祭(4月15日に近い土曜日) 秋祭・宵祭(9月29日に近い土曜日) 公民館/村上神社/西教寺 等
上平太神楽獅子 秋祭・宵祭(9月29日に近い土曜日)秋祭・本祭(9月29日に近い日曜日)越年祭(12月31日〜1月1日) 公民館/自在神社 等 自在神社
網掛太神楽獅子 秋祭・宵祭(9月中下旬の土曜日) 公民館/村上大国魂神社
中之条太神楽獅子 (休止中) (中之条神社)