<長野県佐久市臼田町湯原>
湯原神社/9月最終日曜日 13:30〜


長野県佐久市臼田町は、南方に八ヶ岳を望む長野県東部の町で、町内を千曲川が流れています。滝川をさかのぼった町の西側の山懐に、湯原地区があり、その湯原神社の秋祭りに古くから「式三番」が奏演されます。これは天下泰平、延年寿福、五穀豊穣を祈願するものといわれています。

この神社の祭神は「大山祀命」(山の神)と「建御名方命」(諏訪明神)と「事代主命」です。神社の元の社地は、現在よりも下方の滝区下滝宮田にあり、やがて上滝和田の森に移り、延宝9(1681)年に現在地の湯原区山の上に移ったといいます。「式三番」については、宝暦4(1754)年の『御祭礼踊装束道具物数覚』という記録が最古といい、また面箱を入れる箱には宝暦7(1757)年の書があるといいます。

まつりは、現在9月最終日曜日に行われています。12:00から奉納に先立って、神社で神事・祭典が執行されます。その後、境内にある舞台で13:30より「式三番」が演じられます。この舞台は、間口9間、奥行5間というかなり大きな造りです。祭礼の日には、提灯や引き幕がしつらえられます。

さて「式三番」です。これは中央の「能楽」の《翁》と同じような形態の芸能です。《翁》の原型は「父尉(ちちのじょう)」=釈尊、「翁」=文殊、「三番」=弥勒をかたどったものといいます。

現在、登場人物は露払いとしての「千歳」、白い翁面をかける「翁」(白式尉)、素面で登場し、途中で黒い面をかける「三番叟」(黒式尉)の3人です。更に「面捌き」、笛、鼓、大皷(おおかわ)の楽器担当、地謡などで構成されます。

拍子木の音によって幕が開きます。
するとまず「清めの神事」となって、舞台に塩が撒かれ、3人の直面の役者、笛、鼓の囃子方が登場します。
そして「序」。直面の翁の登場です。座すと、四句神歌「とうとうたらり たらりあがり たらりとう」という謎めいた?謡が始まります。
続いて千歳の舞です。千歳は立ち上がり、「鳴るは滝の水 鳴るは滝の水 日は照ると思う」と謡い、四方を固めます(その間に、翁は面捌きによって白式尉面がかけられます)。
千歳は、袖がらみなど独特な所作をしながら、足は反閇(へんばい)のように力強く踏み込まれます。

その後、翁の舞になります。翁は「総角(あげまき)や どうんどうんや」と謡い、やがて立ち上がり、反対側に座していた三番叟と「対面」となります。
そして翁の「千早振る…」から「万歳楽」まで、謡いながら反閇、突っつき乃の字等、様々な呪術的な翁芸を繰り広げます。やがて戻ると、面を外し、「翁帰り」という独特な摺り足で、退場となります。

続いて「三番叟の舞」になります。
翁が退場すると、大皷が単独で登場し、やがて三番叟が現れ、「ほほ おうさいや おうさい 喜びありや喜びあり 我が此の所よりほかには やらじと思う」と唱えた後、足固め、袖がらみ、五つ拍子等、激しい足踏みが印象的な、呪術的所作を続けます。この部分を特に<揉みの段>といいます。

戻った三番叟は「黒式尉」の面をかけます。そして千歳と三番叟の「対面」となります。これは狂言風な問答です。千歳が「あら様がましや さらば鈴を参らしよう」と三番叟に鈴を渡すと退場します。
三番叟は鈴を鳴らしながら、勇み足、種まき、千鳥足、髭剃りなどの所作をします。これらは農耕の様子を表しているともいいますが、修験道の影響を感じさせる呪術的な所作です。ここの部分は<鈴の段>といいます。
以上で舞が終了となります。三番叟も面を外し、地方等とともに退場します。

近隣では北佐久郡望月町春日に同様の式三番の伝承があります。山里に中央の「翁芸」が伝えられていることは大変意味の深いところです。この湯原地区には修験道の影響を感じさせる民俗伝承が残されています。また役者も若者が参加しており、しっかりと伝承されておられるようでした。