<山形県
寒河江市平塩>
平塩熊野神社/4月3日

平塩熊野神社

寒河江市は山形市の北西部、市街地からはやや離れた丘陵地帯の麓で、遠く月山も目に入ります。また最上川の近くです。地名の由来は、塩水が湧くところであるところからだといいます。ここ平塩熊野神社の例大祭の折に、この舞楽が伝承されてきました。

「平塩舞楽」パンフレット(寒河江市商工観光課)
平塩舞楽の楽人


平塩熊野神社の縁起によると、紀伊熊野三所権現から勧請され、行基が開基、高弟・勝覚により熊野三所大権現とされたといいます。やはり今でも神仏混淆時代の名残があり、拝殿はほとんど寺院の造り、鐘楼もあり、雰囲気はお寺のようでした。実際、平塩地区を歩いてみると、何となく古い時代の宗教村落的な雰囲気を感じることができます。

舞楽は、もともとは谷地の林家によって執り行われていたものであったそうですが、天正の頃から氏子によって行われるようになったといいます。歴史的には、千葉藤左衛門が奉納した扁額により、約400年ほど前に2度京に上ったということが分かるのだそうです。地方の舞楽が「大阪四天王寺舞楽」を伝えたという伝承が語られることが多いなかで、「京の舞楽」との関連が語られているのは珍しい例だと思われます。

祭りは、4月2日の午後2:00「前日祭」、3日の午前3:00「乱聲(らんじょう)祭」、午前11:00「大祭」、そして舞楽は午後1:00から奏演されます。舞楽は、拝殿に向かって建っている舞楽殿(かつて小阿弥陀堂と呼ばれた)から欄干をつけた橋がかりをかけ、仮説された舞台で行われます。楽器は、いわゆる三管三鼓ではなく、吹物は龍笛のみ、打物は寺院の行事に使われる磬(けい)と鋲留め大太鼓です。

衣装については、平塩では昔のままの衣装を使っており、いかにも鄙舞楽らしさが残されていて、いい雰囲気です。地方にあって、十分な舞楽装束が揃わないにしても、中央のものを意識して仕立てられており、先人たちの努力を感じます。

なお、稚児の舞もあり、新潟や富山に伝承されている稚児舞楽と同様に、肩車をされて舞楽殿に向かうのが印象的でした。また地元では「ドンドンカッカ」と呼び、親しまれているそうです。谷地では「おひゃらどんが」と呼ばれていますが、舞楽の唱歌を祭りの名前にしているところが、何とも鄙舞楽らしい伝承です。

演目 舞について
振鉾(えんぶ) 大人1人の舞。鉾を持って舞う。
散手(さんじゅ) 大人1人の舞。散手面に鉾を持つ。
太平楽(たいへいらく) 大人4人の舞。日本式の甲冑を身につける。閏年のみの奏演。わたくしは見られず。
安摩(あま) 大人1人の舞。中央と同じように雑面(ぞうめん)=紙による面であるが、独特の描き方。
二ノ舞 大人2人の舞。爺は咲面、婆は醜面。爺がいろいろなおもちゃを出す。
三台塩(さんたいえん) 稚児1人の舞。中啓を持つ。かつては大人舞であったらしい。
還城楽(げんじょうらく) 稚児1人の舞。面はなし。蛇を見るという舞であるが、ここでは赤い紐を蛇に見立てる。
抜頭(ばとう) 稚児1人の舞。面はなし。桴を持って舞う。
蘭陵王(らんりょうおう) 大人1人の舞。いわゆる陵王面を被るものの、狩衣に中啓を持つ。
納蘇利(なそり) 大人1人の舞。いわゆる納蘇利面を着けて舞う。上着は狩衣に中啓。