<谷地舞楽>

<山形県西村山郡河北町谷地
9月中旬

「谷地どんがまつり」パンフレット(1990年)

山形県の中部に位置する河北町は、最上川や寒河江川に囲まれた場所。田園地帯の印象ですが、河港の町として栄えた土地でもありました。現在でも「紅花資料館」があるように、ここは「最上紅花」の産地でした。中心地・谷地には米や紅花が集積し、それを最上川を下って酒田へ運び、更に日本海を航海して上方へもたらされたのです。古くから、上方とのつながりをもち、文化のやりとりもあった土地柄であったようです。

谷地舞楽の楽人
「舞楽のあるまつり」 (谷地八幡宮社務所)

その谷地八幡宮で行われてきた例祭「どんが祭り」で舞楽が演じられてきました。それが国指定重要無形文化財「林家舞楽」です。

この舞楽は土地に伝わるものというより、「林家」という家系で伝承されているという特徴があります。林家とは、代々谷地八幡宮の神職であり、「家」が伝えてきました。伝承としては、大阪四天王寺の楽人・林越前正照が貞観2年(860)に、慈覚大師に従って山寺・立石寺に来たことから由来するといいます。

そして、林家では山寺の山王権現の祭り、慈恩寺の祭り、平塩の熊野社の祭りなどで、舞楽を執り行ってきました。

明治になって山寺の祭りは絶え、林家は谷地に住み、慈恩寺の祭りと当地・谷地八幡宮の祭りで、舞楽を奏演してきました。

演目は10あり、その内「還城楽」と「抜頭」の2演目が童舞です。また舞楽の前には楽器のみの《チャクランジョウ》、終わりには《エコウガク》という奏楽があります。楽器は現在龍笛、鞨鼓、大太鼓、鉦鼓が揃っています。かつてはどのような姿であったのでしょうか。

現在の八幡宮例祭は、9月中旬、敬老の日前後の土・日・月曜日の3日間、「どんが祭り」として盛大に行われています。「谷地奴」「囃子屋台巡行」「沢畑風祭り太鼓」等、いろいろな芸能や祭事とともに、舞楽が行われています。ちなみに「どんが」とは、この舞楽の口唱歌からのネーミングです。

舞楽奏演は、1日目の午後、夜には篝火による夜遊の舞楽、2日目の日中に行われています。場所は、八幡宮境内の舞台上です。

京や大坂の地で行われていた中央の舞楽を、1,000年以上も前から、脈々と東北の地に残されている舞楽。それも林家による一子相伝という伝承は、もしかしたら現行の中央の舞楽には失われてしまったものも遺されているのでは?といったロマンがあります。

演目 舞について
燕歩(えんぶ) 大人1人の舞。鉾を持って舞う。三節からなる。
三台(さんだい) 大人1人の舞。面はなし。中央の舞楽には遺されていない。
散手(さんじゅ) 大人1人の舞。鼻高の面に鉾を持つ。
太平楽たいへいらく) 大人4人の舞。日本式の甲冑を身につける。
安摩(あま) 大人1人の舞。中央と同じように雑面(ぞうめん)=紙による面。
二ノ舞(にのまい) 大人2人の舞。爺は笑面、婆は腫面。
還城楽(げんじょうらく) 童舞。中央に蛇を置き、桴をもって舞う。
抜頭(ばとう) 童舞。面はなく、花冠を被った可憐な舞。
陵王(りょうおう) 大人1人の舞。完全な中央の陵王のスタイル。装束は紅花染めの豪華なもの。
納曽利(なそり) 大人1人の舞。完全な中央の納曽利のスタイル。