<山形県寒河江市慈恩寺>
5月5日

慈恩寺本堂

寒河江市は山形市の北西部、最上川の支流・寒河江川のやや北側に慈恩寺があります。慈恩寺は、天平18年(746)聖武天皇の勅令により、娑羅門僧正が開基したと伝えられる古刹です。舞楽は、慈恩寺の一切経会の機会に奏演されています。

当地の舞楽は、大阪四天王寺の楽人・林越前正照が貞観2年(860)に、慈覚大師に従って山寺・立石寺に来たことから由来するといいます。その後、山寺、慈恩寺、平塩の3ヶ所に舞楽を司ったといい、現在ではその林家が河北町谷地八幡宮で林家舞楽として伝承しています。

慈恩寺へは、本堂の「舞童帳」に永正年間からの記録があることから、室町時代までにさかのぼると見られています。

山門二階に設えられた楽屋



8演目中、「太平楽」と「二の舞」は、地元慈恩寺の一山の人々によって舞われ、その他は谷地八幡の林家によって舞われるといいます。また、かつてあった「抜頭」「還城楽」「蘇利子」「神儺」といった演目は、稚児舞であり、明治以降行われなくなったといいます。


ここの舞楽の舞台は、石段(楽屋坂と言うそうです)を登った山門から、本堂に向かって組まれる仮設舞台です。そして、山門の二階が楽屋になっていて、そこにはしごを掛けて舞人が出入りするようになっています。。

楽器は、楽屋が高いのでよく見えませんでしたが、本によると笛と太鼓、鉦とあります。いわゆる三管三鼓ではありませんが、平塩と同じような音に聞こえましたので、いわゆる雅楽器ではない「鄙舞楽」らしいサウンドです。

演目 舞について
燕歩(えんぶ) 大人1人の舞。鉾を持って舞う。
三台塩(さんたいえん) 大人1人の舞。面はなし。
散手(さんじゅ) 大人1人の舞。鼻高の面に鉾を持つ。
太平楽たいへいらく) 大人4人の舞。日本式の甲冑を身につける。
安摩(あま) 大人1人の舞。中央と同じように雑面(ぞうめん)=紙による面であるが、独特の描き方。
二ノ舞 大人2人の舞。爺は笑面、婆は腫面。
陵王(りょうおう) 大人1人の舞。完全に中央の陵王のスタイル。かつては狩衣であったようだ。
納曽利(なそり) 大人1人の舞。完全に中央の納曽利のスタイル。かつては狩衣で、持ち物も中啓であった。