長野県上田市、小県郡地域には「太神楽獅子」が多く分布しています。各地の鎮守の神社で、五穀豊穣、氏子繁栄、家内安全といった祈りを込め、悪魔払いを中心とした獅子舞を「太神楽獅子」と呼んでいます。
神楽というと、伊勢神宮や熱田神宮の信仰の伝播者である御師(おし)という下級の宗教者による神事としての舞をさし、これを「太神楽」と言います。

江戸時代では伊勢詣りが大衆に支持され、伊勢や熱田へ参拝する人々が増加するのと並行して、各地へ出向いて、神札の配布や祝祷を行う太神楽の巡回も盛んになっていきます。こうして、地方の信者の参拝を代行する「代参」の意味から「代神楽」だったともいいます。
一方、伊勢の御師による獅子神楽のお祓いを受けることにより、伊勢の神楽を奉納をしたのと同じご利益を得ることが出来るという信仰から「大神楽」、または「大神宮御神楽」の中三字を省略して「大神楽」と呼ぶようになったともいいます。

尾張熱田派の太神楽は寛文年間(1661〜1672)に江戸中心に進出し、江戸太神楽の母胎として分布します。また、伊勢派も2、30年遅れて江戸に進出します。徳川幕府全盛期には江戸の太神楽は、熱田派・伊勢派それぞれがあり、なかでも丸一系神楽として、長野あたりにも流布しました。

当地域の神楽は、獅子は江戸丸一系太神楽であることがよく分かり、獅子の幌や神楽(巡行するときに太鼓を着け、頭を運ぶ神輿状ののもの)の引幕、舞台の飾りなどに「丸一」の紋が描かれています。
春秋の祭りはもとより、特別なイベント等でも招聘され、舞われることも多いようです。

特徴としては、「神楽」と呼ばれる、宮型の屋台を長持に設え、御幣を立て、大胴、小胴といった大小の太鼓をくくりつけ、これを打ちながら地区内を廻っていきます。

また、太神楽芸の本来の姿である「悪魔払い」を奉じるものと、歌舞伎の場面や多彩な舞踊など余興芸を付加し、大規模に仕立てたものとがあります。
庶民にとっての獅子舞を、「神楽」と呼び、地域で大切にされてきた芸能でもあります。

 地  区  時  期  場  所  神  社
塩田新町太神楽獅子 10月下旬 上田市塩田新町 氷上王子神社
下之条太神楽獅子 9月下旬 上田市下之条 芦原淵神社
町小泉太神楽獅子 7月下旬 上田市小泉 弓崎神社