富山県高岡市伏木一宮/4月18日 9:00〜

富山県高岡市伏木一宮にある気多神社は、越中国一宮として知られています。その春祭りは古式豊かな祭事で、にらみ獅子の奏演で広く知られています。

◆雉旗と五色旗◆



気多神社の由来は諸説あるようですが、能登国羽咋の気多大社から大己貴命を勧請して「気多大神」としたといい、『白山記』では越中気多神社を新気多として、二上の射水神社と勢力争いに勝ち、当地を一宮としたという記述があるのだそうです。一方、僧・行基が創建したという伝承もあります。当時、神仏混淆の時代にあって、気多神社においても別当寺、神宮寺が存在し、本地仏も残されていることから、おそらく蓮如の北陸進出以前からの古い聖地であったことは間違いなさそうです。

祭神は大己貴命と奴奈加波比売命。オオナムチノミコトとはいわゆるオオクニヌシのこと、ヌナカワヒメノミコトといえば奴奈川姫、すなわちオオクニヌシの妻神。越後・頸城の古代女王とされ、オオクニヌシの歌の問答による求婚によって結ばれたという神話で有名で、糸魚川市一の宮にある天津神社等の祭神としても知られています。また境内には、越中総社跡伝承地があります。国府にその国の祭神をすべて勧請した神社のことを総社といい、その神社を拝することで国内を巡拝しなくてもいいというところです。

 ◆神事◆


春季例大祭は、毎年4月18日に定められています。祭儀としては、@奉幣使出立の儀 A神輿渡御の儀 Bにらみ獅子 C奉納獅子舞(一宮青年団による獅子舞) となっています。

神輿渡御にさきだって、午前9:00頃から拝殿で神事が執行されます。30分ほどすると、本殿より運び出された依代(よりしろ)=ご神体を、拝殿前に置かれた神輿に遷します。午前9:30頃から、神輿渡御として、雉旗を先頭として次のような行列が出発します。

 雉旗−五色旗−行道獅子(にらみ獅子)−囃子方(笛・太鼓)−神職−楽人−神輿−祭主−氏子総代



拝殿を出ると、本殿向かって左回りに行道となります。帰り参道を下り、表参道を横切り、越中総社跡伝承地を右回りに3周半廻ります。途中、正面鳥居前では拝礼がされます。そして、再び表参道から石段を上がって、拝殿前に戻ります。そして9:50くらいから拝殿前で、にらみ獅子が奏演されます。

このにらみ獅子は、形態としては胴幕に5人が入る「百足獅子」です。楽器は篠笛と太鼓です。笛は氷見系に多い縦笛ではなく、横笛です。また氷見系に多い鉦もありません。行道獅子とも言われるように、当地域で舞われているような氷見系の獅子とは異なり、天狗などの役もありません。頭は扁平で長細く、一見すると伎楽系の獅子を彷彿とさせます。拝殿に戻るまでは、ほとんど動きはないです。拝殿前での演舞は、前後左右にゆらゆらとゆれるような独特な動きです。

この獅子舞をはじめとして気多神社の春祭りで感じることは、北陸に残される寺社の古い延年系の祭事の雰囲気を濃く残していることです。新潟の頸城地域では寺院と神社を渡御する神輿の祭り(糸魚川市早川日光寺のけんか神輿、糸魚川市根知山寺の延年等)が残されています。糸魚川市能生白山神社の春祭では、境内をゆっくりと行道する獅子舞があります。またこの獅子舞が出る前に、神使による七度半の使いがありますが、気多神社の神輿渡御で総社跡地の3周半廻るのが、かつては7周半であったといいます。また、富山県魚津市小川寺の獅子舞は、堂宇を7度半廻るのだそうです。
このような単純に似ている要素をあげて、共通するというものでもありませんが、少なくとも中世以前にさかのぼる、当地域の延年行事の流れではないかと直感させられます。