〜北海道桧山郡江差町〜

民謡の王様といわれる《江差追分》は、やはり名曲だと思います。初めて耳にしたのは、わたくし小学校3年生のとき。「おしょお〜ろ〜お〜お〜お〜」の

◆追分ソーランライン◆

意味が分からず、それが「忍路」という地名だと分かるまでに何年かかかりました。
45回転の民謡のレコードを集めるようになったのが小学校4年生。初めて買ったのが、キングレコードの初代浜田喜一による《江差追分》でした。

「追分」という民謡は、信州中山道と北国街道の分岐点「追分宿」(長野県北佐久郡軽井沢町)で、飯盛女達によって歌われたものが<追分節>として、全国に伝播したもの。その頃、《馬方節》に三下りの三味線の手がつけられたという意味の《馬方三下り》といったそうです。全国に「追分」は広がりますが、「蝦夷や松前…」という歌詞から、《松前》(新潟あたりでは転訛して《松舞》などとも…)という曲名に変化したものもあります。

◆江差追分会館◆


<江差追分紀行>
1994年の8月に北海道へドライブをしたとき、「絶対江差へ行ってみよう!」との思いで、訪ねました。

まず「松前江差の 津花の浜でヤンサノエ…」という歌詞を思い浮かべながら、松前追分の伝わる松前に行きます。桜の名所、松前城などを見学して、目的地・江差へ。しかし、歌詞には「松前江差の…」という割に、松前から江差へは結構距離があります。そんな「追分ソーランライン」を北上しました。

◆瓶子岩◆


とにかく、江差追分会館に行きたかった。入ると、いろいろな資料やお土産があり、楽しかった。また、地元の名人に稽古していただけるとのこと…。入口の方に「師匠に習っていけば…」と勧められるものの、歌に自信のないわたくしは、それには辞退申し上げる…。

◆初代浜田喜一像◆


公演もあるとのこと。しかし、それまでに少し時間があったので、江差を一望できる「鴎島」へ行ってみます。ここには初代浜田喜一像があると聞き、訪ねてみたかったのです。
「追分の浜田か、浜田の追分か」といわれた初代浜田喜一師は、追分会館の入口すぐのところにも写真がありました。

また、鴎島へ行く途中に目に入ったのが瓶子岩。これを見て「あっ!レコードのジャッケットの写真の岩だ!」これにはまた感激。

◆江差追分踊り◆


再び会館に戻ると、いよいよ公演。
1日に2回の公演があるのだそうです。
たまたま、わたくしが訪れたのは8月の姥神大神宮の大祭の日で、特別に3回の公演が行われていました。

踊りつきでしみじみと聴かせていただいたときは、大感激。キラキラと光り輝く声というより、海の潮風のようなお声でした。やはり「追分はこうでなくては…」といった感じでした。そして、やはり「ナマ演奏」がよかったです。なかなか《江差追分》のナマを聴く機会は、わたくしにはあまりありませんので、余計に感激でした。

自分で歌えるような曲ではありませんが、大好きな一曲です。

江差追分のことは、江差追分会のホームページへ!
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