〜北海道桧山郡松前町〜
◆福山城本丸御門◆

北海道・松前は、道南にあって蝦夷島主としての地位を保った松前氏の城下町です。明治の廃藩になり政治が札幌に移るまで、北海道の拠点であったのだそうです。
その松前で忘れられないのが《松前追分》です。

「追分」という民謡は、信州中山道と北国街道の分岐点「追分宿」(長野県北佐久郡軽井沢町)で、飯盛女達によって歌われた「追分節」が、全国に伝播したもの。その頃、《馬方節》に三下りの三味線の手がつけられたという意味の《馬方三下り》といったそうです。全国に「追分」は広がりますが、「蝦夷や松前…」という歌詞から、《松前》(新潟あたりでは転訛して《松舞》などとも…)という曲名に変化したものもあります。そして各地に「追分」は伝播するのです。

◆福山城(松前城)◆


《江差追分》として現在のような、前唄・本唄・後唄といったスタイルになる前の形の追分は、北海道を初めとして各地に残っています。その一つといえるのが《松前追分》です。

現在はあまり聴くことは少ないですが、《江差追分》とも若干趣の違う節回しが魅力です。


江差追分の江差へ行ってみたい!と思って、北海道旅行に出かけたとき、江差町の前に松前町に寄りました。
桜の名所として知られる福山城(松前城)は、北辺警備のために江戸幕府が築城を命じたもので、安政元年(1854)に完成した北の名城です。
明治8年には開拓使により取り壊されるものの、天守、東塀、本丸御門が残されたそうです。ただ天守と東塀が飛び火で焼失、本丸御門のみ残すのみになったのだそうです。

民俗芸能では「松前神楽」が知られます。このように松前は北海道にあっても、本州とのつながりの深い、歴史のある町です。

なお、追分の歌詞に「松前江差の…」と一括りにいわれることがあるので、近い場所なのか?と思っていましたが、実際訪ねてみますと、江差と松前とは距離的にはかなり離れていました。