〜三重県伊勢市〜
 
お伊勢参りに朝熊をかけよと歌われた金剛證寺  〈間の山 お杉お玉の碑〉

〈古市の名残を残す旅館〉

「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は 城で持つ」という歌詞を聞けば、すぐに<伊勢音頭>が思い浮かぶと思います。そして日本全国には、「ヤートコセ ヨーイヤナ」という唄ばやしを持つ「○○伊勢音頭」が多く伝承されています。

これは言うまでもなく、五十鈴川のほとりに鎮座する伊勢神宮に詣る人々が全国から集まり、伊勢発信の「音頭」が全国に広まっていったのでした。
伊勢信仰は、天照皇大神を祀った伊勢神宮につかえる「御師」が、全国を廻り一般庶民に広まります。

伊勢では、20年に1度の式年造営が行われ、神領民たちが奉仕してきました。その「御遷宮」での「御用材」の運搬を「お木曳き」といい、この時に歌われたのが<お木曳き木遣り>であり、これが「伊勢音頭」の源流と言われています。これが江戸時代に、そして人々が集まる茶屋で<伊勢音頭>が酒席の騒ぎ唄として人気を集めました。

伊勢神宮外宮と内宮の間にある古市は、伊勢参拝客の精進落としの場として知られ、遊郭や芝居小屋などがあった花街です。ここでは、お杉、お玉という女芸人が、三味線を弾きながら芸をしたことで知られ、<間の山節>として知られるました。また伊勢の台所といわれる商人の町・河崎では、<河崎音頭>として広く歌われます。また古市ではも<古市音頭>として歌われます。こうして伊勢では広く知られるようになります。また伊勢参りに行けない庶民に代わって参詣する「願人坊主」なども、この唄を持って各地に広めました。

民俗芸能では山車を曳く時の木遣りなどで歌われている場合や、新潟の赤倉神楽青澤神楽のように、太神楽獅子の余興の手踊りとして歌い踊られているものもの多いです。

〈河崎の町並み〉

現在<伊勢音頭>というと、いくつかの節があります。

<古調伊勢音頭>
 古くから歌われていた<伊勢音頭>で、江戸時代にさかのぼる節回し。三味線、鳴り物に胡弓も入っています。伊勢音頭の保存に奔走したのは、地元伊勢市の医師・畑嘉聞。彼の尽力によって「伊勢音頭の会」創設 昭和8年にレコード吹き込み、各地の民謡大会 等に出演、全国にその普及を計った。この「伊勢音頭の会」の節回しです。

<正調伊勢音頭>

 戦後、伊勢市観光協会、山田検番の方々によって、従来の伊勢音頭をもとに、当世風の《新編伊勢音頭》を作り、昭和33年に発表、普及させました。二上りの小粋な三味線伴奏で、唄のメロディが複雑に絡み合う難曲です。現在は「伊勢音頭保存会」によって歌われています。

<道中伊勢音頭>
 伊勢参宮街道の宿場・六軒で歌われていたもの。7775調のものと、上の句と下の句の間に75調を挿入する<字余り>とがあり、<祝(ほぎ)唄>や<別れの唄>が人気となりました。太鼓と鉦の伴奏で歌われます。古調と新編の2種類の節回しがあります。

<扇の舞>
 
「祝い唄」と呼ばれ、○めでためでたの 若松様よ 枝も栄える 葉も茂る の歌詞で歌われます。節回しは<道中伊勢音頭>のメロディ。

<伊勢音頭(さわぎ)>
 
伊勢で歌われている「関東節」に近い節回しのもの。地元でもよく歌われているようです。

<伊勢音頭(関東節)>
 
民謡歌手によってステージで歌われているもの。二上りの三味線伴奏で賑やかに演奏されます。<伊勢音頭>の流れである、岐阜・郡上市八幡町の<郡上踊り>の<かわさき>や長野・中野市の<川崎踊り>の伴奏と、関東節の前奏はよく似ています。上記の<さわぎ>に似ています。

伊勢音頭についてはを参照!