岐阜県郡上市白鳥町

前谷白山神社/8月16日 20:00〜22:00
白鳥神社/8月17日    20:00〜22:00
野添貴船神社/8月20日 20:00〜22:00
白鳥神社/9月第4日曜日 18:00〜21:00

 郡上市白鳥町には、夏の風物詩である白鳥おどりが開催されています。八幡町の郡上おどりとともに、人気のある踊りです。街中で楽しく踊られる踊りとは別に、神社境内の拝殿内で、素朴に踊られているのが、「拝殿踊」です。白山信仰との関連があるといい、独特な形の「キリコ」という灯籠を吊り下げたところで元気に踊られます。
 特徴は、町踊りのように三味線、笛、太鼓といった囃子がつかないこと、下駄を履いて踊るということ、唄は踊りながら音頭を取る人と、その他大勢の踊り子が返す、昔ながらの“音頭一同形式”で進んでいくこと等が挙げられます。また、全般的にテンポが速く、にぎやかな下駄の音が自然な伴奏楽器のようにさえ聞こえてきます。
 もっとも古いのが「場所踊り」という曲で、古式をたたえた曲調、手を後ろで組む珍しい振りが印象的です。これ以外は、町踊りの白鳥おどりと共通する曲目です。しかし、全く同じではなく微妙に曲調や唄ばやしに違いがあります。また曲名も拝殿踊の方が古いようです。


《場所踊り》
 白鳥おどりの中で最も古いものとされています。白山中宮長滝寺を中心とした白山信仰の広まった地域で、念仏踊りのようなタイプの《バショウ》という踊りが成立したといいます。特に白山を讃える唱歌(しょうが)であったともいい、振りも賑やかな他の曲とは異なり、手を後ろ手に組んで、足を踏み出したり戻したりといった単純な振りで、いかにも古式を感じさせるものです。「場所」とは「場所をおろす」という意味だと解説されています。

 2014年9月28日、郡上市白鳥町

《源助さん》
 白鳥おどりの8曲の中では比較的新しいものであるといいます。七七七五調の歌詞で歌われ、座敷唄であったようです。町踊りとは最後の唄ばやしが若干旋律が異なります。

《シッチョイ》
 白山山麓を中心に、油坂峠を越えた旧和泉村や大野市あたりで歌われているといいます。岐阜では白鳥でしか歌われていないそうです。口説形式であり、物語が延々と語られます。

《ヤッサカ》
 元々は労働歌であったといいます。やはり七七調を延々と繰り返していく口説形式であり、はじめに「炭焼き口説」から始まるので、炭焼きの苦労、手まねの入った踊りと言われています。町踊りでは《八ツ坂》と呼ばれています。

《猫の子》
 これは福井・石川でよく歌われている盆踊り唄で、郡上八幡付近でも歌われており、の郡上おどりにも残されています。子猫の所作を真似た踊りであるといわれています。

《ドッコイサ》
 「ドッコイサ」という唄ばやしからのネーミングで、町踊りでは《神代》です。やはり労作唄が踊り唄になったものとか、滋賀・湖西で発生したものとも言われています。白山山麓や郡上一円に同じような唄が歌われてきました。この踊りは、隣の踊り手の肩に手を乗せる振りがあり、日本の民踊には珍しいものです。

《ヨイサッサ》
 これも白山山麓ではよく聴くもので、七七調を延々と繰り返していく口説形式です。町踊りでは《老坂》というネーミングです。ただ、町踊りとはメロディの変化が大きいように感じられます。本来、こうした音程の跳躍の大きい歌い方であったものかと想像されます。

《エッサッサ》
 町踊りでは「世栄」です。これも白山山麓はよく聴くもので、奥越前や岐阜では関市関取、高山市荘川町あたりまで伝播があるといいます。七七調を延々と繰り返していく口説形式です。内容は心中話を題材にした口説が歌われています。唄ばやしは、町踊りでは「ハドッコイドッコイドッコイサー ドッコイサーノドッコイショ」で、古くは「ハエッサエッサエッサッサーエッサッサーノドッコイショ」であったようですが、拝殿踊では、「ハエッサッサノドッコイショ」と大きなフレーズで歌われます。町踊りでは、テンポがかなりアップしていきますが、拝殿では元々速く、急激なテンポ変化はないようです。

《さのさ》
  昭和初期から拝殿踊りでは踊られていたといい、昭和30年頃から流行ったそうです。「さのさ」とは、九州は長崎で歌われてきた中国風の音楽「明清楽」の中の「九連環(くれんかん)」という曲だと言われています。それが日本語で《ホーカイ節》として歌われるように、それが大流行して「さのさ」になりました。俗曲として知られる《さのさ》は有名ですが、各地の民謡としても(《串木野さのさ》《五島さのさ》等)残されています。詩型は五七五七五七五七五調ですが、最後に唄われる「さのさ」は省略されています。拝殿踊りでは太鼓もないですが、三味線などの伴奏で《郡上さのさ》とか《白鳥さのさ》として広く歌われています。

《よいとそりゃ》
  奥越前系の盆踊り唄といい、石徹白などでも踊られていたといいます。「ハヨイトソリャ」の囃子からのネーミングで、下の句の第3句とと第4句の間に「ヨーオイ」と入ります。また「コイツァ…」から返し唄が付くのも特徴です。これは飛騨あたりでも唄われ「ハヨイトソレ」などと囃すところから《よいとそれ》ともいいます。また諏訪あたりから流行ったということで《諏訪節》ともいいます。北アルプスを越えた長野県は諏訪地方や上伊那郡、また山梨県あたりでは「エーヨー節」とか「ヨイソレ」などと称して、歌い踊られています。ちなみに諏訪地方で《エーヨー節》は、野麦峠などを越えて集まってきた女工らによる《糸くり唄》としても歌われています。

《チョイナ》
 言わずと知れた群馬の名湯・草津温泉の湯もみ唄として知られた《草津節》です。歌詞の最後に「チョイナ チョイナ」と付けられることからのネーミングです。現在の《草津節》が歌われるようになったのは大正時代で、元々は茨城県の《げんたか節》という説、《機織り唄》という説等があるといいます。歌詞は七七七五調の甚句系統の曲で、温泉とともに大流行しましたので、それが白鳥でも取り入れられたのでしょう。

《ストトン節》
 演歌師・添田唖蝉坊の長男、添田知道(芸名・さつき)の作詞・作曲による演歌が元で、大正13年から流行したものです。歌詞は、
○ストトンストトンと通わせて 今更嫌とは胴慾な 嫌なら嫌と始めから 言えばストトンと通やせぬ ストトン ストトン
といったもので、当時流行った《ラッパ節》等と同じ詞型の七五七五七五七五調で、最後に「ストトンストトン」が付きます。明治、大正期の大流行した演歌の1つが、拝殿踊に取り込まれたものでしょう。

《ツーレロ節》
 戦前、美ち奴によってヒットした俗曲《ツーレロ節》は、もともと《シャンラン節》といい、村松秀一作詞で旋律は台湾民謡であったそうです。歌詞は、
 
○かおるジャスミン どなたがくれた パパヤ畑の 月に問え 月に問え
  ツーツーレロレロ ツーレーロー ツーレーラレツレトレシャン ツレラレトレシャンランラン

といったものでした。南方派遣の兵隊さんに人気の曲であったといい、その後《ツーレロ節》として、美ち奴以外にも小林旭やドリフターズが歌いました。そうした流行歌は各地で取り込まれ、関西の「だんじり」の曳き唄にも利用されているようです。白鳥では「ツーツーレロレロ…」を省略したり、白鳥らしく「「ドッコイショ」を入れたりして、楽しく踊られています。3拍子のような4拍子のような不思議なリズム感の曲です。