〜新潟県長岡市寺泊〜

新潟県長岡市寺泊は、佐渡へ渡る港町としては最短距離にあたるところ。寺泊は、古くからの港町です。ここの花柳界には、《寺泊おけさ》《越後追分》《塩たき節》《出雲節》《萬歳の若水》等、さまざまな唄が伝承されてきました。

特に、わたくしが学生時代、寺泊の民謡を聴くチャンスがあり、これらの唄を伝承されておられた藤乃井月子女史と、三味線の大矢千代栄女史にお会いすることができました。このお二人は、文化財的な民謡の伝承者であり、上記の素晴らしい唄を伝えていらっしゃる方々です。

《寺泊おけさ》



新潟には《おけさ》という唄が数多く残されています。代表的な《佐渡おけさ》を始めとして、《新潟おけさ》《出雲崎おけさ》《柏崎おけさ》《やかたおけさ》…まだまだたくさんあります。そもそも《おけさ》とは、いわゆる素朴な甚句で、九州・熊本の《牛深ハイヤ節》が全国の港町で歌われるようになり、新潟では《おけさ》の歌詞に、《ハイヤ節》のメロディが結びついたものが、今日の《おけさ》になったのだそうです。ところで《寺泊おけさ》のレコードをはじめて聴いたとき、すごく変わった三味線の伴奏だ…と思いました。「ツッチャ・ツッチャ…」と別に何かを叩いているようなサウンドで、「何だろう?」とナゾでした。二上りの賑やかな唄です。

《越後追分》 



《追分》といえば《江差追分》をイメージしますが、源流は信州の中山道と北国街道の分岐点の「追分宿」(長野県北佐久郡軽井沢町)で歌われた《追分節》とされています。これは《馬方節》に三下りの三味線の伴奏がつけられて歌われ《馬方三下り》と呼ばれ、これが《追分節》として、全国を駆けめぐったといいます。新潟にも各地に伝承されていますが、寺泊でも座敷唄として伝承されてきました。
単純に《越後追分》というと、新潟市の鈴木節美師によるものと、この月子師のものが浮かびます。鈴木節美師の歌われてきたのは尺八伴奏で《江差追分》のようなスタイルのもの、月子師のものは民謡研究の竹内勉氏がともに復元されたものです。三味線は本調子で、波を思わせるようなスィング感のオスティナート。

《塩たき節》



粋な唄です。特に海水をたいて塩をとるための曲ということではなくて、「なじょな塩たきでも…」といった歌詞からとられたもので、端唄風の名曲です。御座付きといい、寺泊では座敷で一番最初に歌われてきたものだそうです。
三味線は二上りでしっとりとした伴奏です。しかし千代栄師の音色は、しっとりとした中にも、芯のある切れ味の素敵な響きです。

《出雲節(寺泊船方節)



北前船の船乗りたちによって歌われたものと思われます。《出雲節》というだけあって、もとは出雲の《さんこ節》であり、各地の港町で盛んに歌われ、《安来節》に姿を変え、新潟では《直江津船方節》《新潟船方節》《小木船方節》等、山形では《酒田船方節》、秋田では《船川節》《能代船方節》そして名曲《秋田船方節》と種がまかれていきます。

《萬歳(ばんざい)の若水》




新年の若水汲みに因んだ祝儀歌で、新春の宴席には欠かせない御座付きで、正月のめでたさをあらわした唄です。《塩たき節》と同じような雰囲気をもつ洗練された曲です。



学生時代、《寺泊おけさ》のナゾに迫るべく!千代栄女史に三味線のことをお聞きしました。すると、撥を持つ右手の親指を撥の外側にずらして、絃を弾いた瞬間にその親指で残響を消していくのです。自分もやってみましたが、どうしてもうまくいきません。どうしてこんな弾き方ができるのだ!という思いでした。千代栄師の指は、人より長いのかも?と思わせるほど、ナゾの多い奏法です。
なお近隣のおけさでは、《地蔵堂おけさ》(三島郡分水町)、《柏崎おけさ》(柏崎市)などで、同様の奏法が見られます。ただし、各地でスクイ撥のタイミングに微妙な違いがあります。
またこの奏法について、各種の民謡の書籍や解説書に「小指で残響を消す」といった旨が書かれているものを見かけますが、何をどう間違ったのか、これは明らかな誤りです。

話は飛躍しますが、現代音楽の巨匠・ジョン=ケージのプリペアードピアノの作品の数々があります。これはピアノに仕掛けをして、打楽器的な音を出すのですが、これはジョン=ケージが、打楽器の準備できないとき、ピアノだけで打楽器のサウンドとともに演奏することを考えついたようです。
この《寺泊おけさ》のこの弾き方も、かなり打楽器的です。他の鳴り物がなくても、かなり賑やかになります。ひょっとして、同じような発想を、三味線にも求められたものでしょうか…。

そして、《追分》もなかなか歌える曲ではありません。いつかレパートリーにしたい唄です。